「広告収入は、一番良かった1990年代前半から比較すると半分以下。いや、半分では済まず、3割に満たないこともある。昔は一件数十万とっていた広告も、数万円に下げても入れてくれない」(新田さん)
さらに、興味深い裁判が地方で進行している。佐賀県で唯一の県紙・佐賀新聞の販売店を経営していた男性が配達分以上の新聞の仕入れを強制された、と被害を訴えたのだ。佐賀地裁は、新聞社が販売店に配達分以上の新聞を強制的に購入させる「押し紙」の存在を認めるとともに、佐賀新聞側に支払いを命じた。その後、佐賀新聞と元販売店の双方が控訴したので判決は確定していない。
「押し付けられる新聞紙、略して押し紙だね。発行部数の水増しのために刷られる新聞で、(新聞社)本部の営業から買い取りを暗に迫られていたと言われている。例えば、1000部しか配達しないのに、1300とか1500部買えと、こうくる。本部から新聞を買えなくなったら困るから言われるがまま買っていたし、多く取る(仕入れる)ことは販売店のステイタスでもあったらしいね」(新田さん)
かつて景気がよく、どんぶり勘定な商売が普通だった時代の慣行だった、というのが事実だろう。上記の裁判では新聞社から一方的に押しつけられたという販売店側の主張から始まっているが、かつてはその差分を含めた広告料を獲得できて新聞社と利害が一致していたために不満が出なかったという側面もあるはずだ。ところが、配達部数が激減し、ざっくりとした広告販売が通用しなくなってくると事情が変わってくる。これまでは利害が一致していた両者の一方が、ビジネスモデルの終焉とともにもう一方に反旗を翻し、被害者は誰なのか、そして「押し付けられた」と訴える。しかし、利害関係者以外の我々から見ると、どこまでいってもどちらかに肩入れできるものではなく、押し紙が存在していたとしても、その被害者といえるのは読者だけではないかと思わずにはいられない。
新型コロナウイルスの到来によって新しい生活様式の実践が求められているが、長年、当たり前だったあらゆることに変化が求められている時代だ。新聞やテレビといった大手メディアも例外ではなく、この転換には大きな痛みが伴うだろうし、前述した「仲間割れ」の構図が、あらゆるところで散見されるようになるのかもしれない。