「あの日のことをきちんとお話しするのは初めてです。決断が正しかったのか、間違っていたのか。毎日のように逡巡していました。準決勝で他の投手を起用していたらどうなっていたか、と。(決勝で先発した)柴田をもっと鼓舞してあげれば良かったな、とか。答えは……見つからないです」
決勝の試合後、佐々木は報道陣に、「投げたかったです」という一言を残した。佐々木との間で、決勝の起用法に関して言葉を交わすことはこれまであったのだろうか。
「ありません。『甲子園に行きたかったです』とも『投げなくて良かったです』とも聞いていません。本心を僕にぶつけることが、僕にとって酷だと気を遣ってくれているんだと思います」
岩手・盛岡一高出身の國保は、筑波大に進み、卒業後は米国の独立リーグも経験。佐々木の入学と同時に大船渡に赴任した。将来を見据えた判断の背景には、米国での経験も大きい。
「佐々木が1年の夏に、147キロを出したんです。(メジャーリーグの)ストラスバーグであったり、大谷翔平選手だったり、彼らのレベルに挑戦できる一握りの才能だと思いました。MAXが160キロを超え、アベレージで155キロを投げるような高校生は過去に例がない。専門の医師や大学の恩師に相談し、手探りで指導しました」
「佐々木は今も成長期」
昨年のドラフトでは4球団の競合となり、佐々木は千葉ロッテに入団した。2月のキャンプから一軍に帯同し、5月のシート打撃登板では、160キロを二度、記録した。しかし、それからノースロー調整が続き、7月14日にようやくキャッチボールを公開。國保は「直接、見ているわけではないので」と前置きしたあと、こんな見解を示した。