「少なくとも高校を卒業する段階では、血液検査の結果や骨密度を測る限り、彼の成長は止まっていなかったと思います。成長期に分泌されるような物質が血液の中にありましたから。100マイル(160キロ)を投げる投手はメジャーにもいますが、成長が止まっていない段階で100マイルを投げれば、身体への反動は大きい。現在は球速に耐え得る体作りの段階ではなく、体作りができる状態になるのを待つ段階ではないでしょうか」
私は、甲子園切符の懸かった地方大会の決勝で「投げさせない」という判断を下したことは、高校野球の転換点になると確信している。実際、直後の甲子園ではエースを温存し、継投策を駆使して勝ち上がる高校が急増し、日本高野連は今春のセンバツ(中止)から球数制限の導入を決めた。
新時代の高校野球を象徴する出来事が、あの登板回避だった。1年の時を経て、当事者として、決断の過程を後世に残す必要性を自覚し、國保も重たい口を開く気になったのだろう。
この夏、怪物のいない大船渡は沿岸南地区代表決定戦で敗れ、県大会に進めなかった。試合後、國保は主将の吉田昂生と、先発した前川真斗のふたりをベンチ前に呼んだ。
吉田には「つらかったな」と伝えた。先発した左腕の前川には「ナイスピッチング!」と讃えた。
このふたりだけが昨夏の決勝を経験した3年生だった。両者にかけた言葉は、逡巡する1年を過ごしてきた自身と、誰より佐々木の3年間に対する労いの言葉ではなかったか。(文中敬称略)
※週刊ポスト2020年7月31日・8月7日号