「クビになりました。当時の新劇は改革期だったのもあって、生意気な僕は『教室で勉強するより芝居がやりたい。現場でやらなきゃダメだ』みたいな偉そうなことを言っちゃったんです。
そもそも僕は、芝居は教わるものではないと思ってました。
けれど誰かに教わることで自分一人では分からないものが見えてくる。突然、起爆剤となって芝居が爆発する。そういうこともあるとは思うんですけど──だから僕は爆発しないんでしょうね。半端な役者です。中途半端に自分が好きで、かわいくて、褒められたくて(笑)。
親父の影響もあったと思います。『古い芝居をするな。ありきたりのことはするな』と言っていて、常に新しいものを求めていました。僕の名前もそうですよね。そういう意識だけは、僕もちょっとは持っている気がします。だから、一度やったことと同じことはしたくない。しちゃいけないと思っています」
その後しばらくは、舞台などを自ら手掛けながら過ごす。
「親父の劇団に入れば役者としての一つの線路がありました。そこにスムーズに入れさせてもらったのに、それがスポーンと切られました。しかも病気で二年ぐらい入院したり。甲状腺だから、あの頃は大手術でした。
その後はわりと必死にアルバイトをしました。朝一番の電車工事現場に行ったりしながら仲間と芝居をやっていました。
千葉の市川で船のタンクを洗うバイトもしましたね。それで失敗して重油が流れて。みんなで一緒に泣きながら重油を拭いていたら、東京湾の向こうに東京の夜景が見えるんです。
『絶対、いつか俺はあそこで芝居をやるんだ』そんなことを夢見ていました」
●かすが・たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『すべての道は役者に通ず』(小学館)が発売中。
■撮影/藤岡雅樹
※週刊ポスト2020年7月31日・8月7日号