2月の段階で中国・上海では小学生にもオンライン授業を実施(Imaginechina/時事通信フォト)
また、埼玉県の学習塾経営・森田敦夫さん(仮名・50代)も、子供達の価値観が大きく様変わりしたことを痛感した一人。
「コロナウイルス感染対策のために、生徒の机にはシールドを設置するなどして対応していますが、目に見えて生徒が減っていきます。感染が怖い、という生徒さんもいましたが、今では『授業はネットでも受けられる』という感覚が拡まったようで、有名学習塾のネット授業に流れる傾向が目立ちます」(森田さん)
森田さんのモットーは、一人一人に懇切丁寧に教える、学校よりもきめ細やかな学習指導を行うことであった。だが、ネットでも、そうしたサービスが出来てしまうという考え方が広がってしまったらしい。森田さんが丁寧な学習指導にかける気持ち、そしてそのバリューは、生徒から見ればなんら魅力を感じないものになりつつあるのだと言う。
「対面の方がよい、生徒とのコミュニケーショを大切にしたい、などと言える空気ではないし、もはや時代遅れとさえ言われる始末。バーチャルは味気ない、リアルの方が良いと少し前まではみんなが思っていたはずですが……この流れには逆らえそうにありません」(森田さん)
オンライン飲み会をしたことがある人なら分かると思うが、リアルの飲み会と決定的に違うところがある。リアルなら、ひとつのテーブルで2、3カ所に分かれた会話が並行して続く、という光景が普通だが、それが不可能だ。同時にすすむ複雑なコミュニケーションには、実は向いていない。それと似たようなことはオンラインのリモート授業でも起きており、明確な質問はしやすいが、ぼんやりと浮かぶ不安や疑問の相談はしづらいし、受け取る側も気づくのが難しい。ところが、この部分は曖昧な違和感としてしか生徒は気づけないので、リモートで十分という結論に結びつけやすいのだろう。
今後、オンラインでの体験時間が長くなるにつれ、オンラインとリアルのそれぞれが持つ得意な部分、オンラインでは補えない点に生徒も教える側も気づくことになるだろうが、それまで森田さんのような教える人の気持ちが続くかどうかが心配だ。
学校も仕事も、旅行も経験も、実際にその場に行ってこそ意味があり「良い」とされてきた。少なくとも、本で読んだ、テレビで見た、ネットで検索して確認したで終わらせるのではなく、実際に体験することを「ベター」とする価値観が、急に共通認識ではなくなりつつある。リアルのほうがバーチャルよりなぜ「良い」とされてきたのか、その理由を極めて曖昧にとらえていたことに、改めて気づかされる。そしてそんな機会に遭遇するたびに、打ちひしがれるような敗北感、喪失感を覚えずにはいられない。