一九八八年、松竹映画『クレイジーボーイズ』でいきなり主演デビューを果たした。
「これも時代ですよ。当時はモデルがブームで、風間トオルさんや阿部寛さんといったモデル出身の俳優が人気になっていました。そういう時代の流れだったんです。僕らは二十年早かったら、なれなかった。草刈正雄さんがモデルから俳優になられた時代は、最初は冷たく扱われて大変だったと聞いています。
それから、当時は各映画会社が新人をスターとして育てようとしてくれていたんです。仲村トオルさんが『ビー・バップ・ハイスクール』でデビューしたり、新人を使って夏休みや冬休みの映画を作っていて。僕らが、そのシステムの最後でした。
現場では大変でしたね。演技のレッスンをしていない状態でしたから、モデル時代にコマーシャルに出た際の勘しかない。
本来なら通行人から徐々に主役に上がるのを、いきなり山のてっぺんにヘリコプターで降ろされたようなものです。
『ここまでにどんな鳥がいた?』と聞かれても、ヘリコプターで来ているから何も分からない。でも、現場に行ったらできるものとして扱われる。ですから『いろいろな鳥がいますよね』と、さも見たかのようにやっていくしかない。主演なので、そこは背負わないといけません。そうやっていく中で、一から学んでいきました」
【プロフィール】
かすが・たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『すべての道は役者に通ず』(小学館)が発売中。
■撮影/藤岡雅樹
※週刊ポスト2020年10月9日号