指導者としての手腕を評価されている故・野村克也さんだが、1999~2001年に監督を務めた阪神タイガースでは3年連続最下位という結果だった。だが、新庄剛志がメジャー移籍するなどして戦力がまったく揃っていなかった当時の阪神においては、その後の礎を築いたとも言われている。プロ入り1年目に野村さんの薫陶をうけた赤星憲広氏が、野球のイロハを教わった野村監督との忘れられない思い出を語った。
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あれはプロ1年目の春季キャンプの初日でした。バッティング練習の時に「とにかくキャッチャーを観察しろ。キャッチャーを見ていたら全てが分かる」と言われたんです。僕の課題だったバッティングももちろんですが、盗塁でもキャッチャーを見ろというのです。
社会人野球ではピッチャーのモーションを盗めば盗塁できると自負していましたが、キャッチャーを観察するとこんなに走りやすくなるのかと気づかされました。配球を学べば、どこで変化球を投げるかもわかって、盗塁成功率が上がる。自分の野球が大きく変わったことを実感しましたね。
シーズン中、僕はベンチでは野村監督の前に座っていました。すると、後ろから配球のことを話してくださるようになった。それをメモに残していました。
巨人戦でサヨナラヒットを打った時に、ベンチに帰ったら出迎えてくれて、一言「読み勝ちだな」とボソッと言ってくれた。これは僕にとって最大の賛辞でした。
1年だけの師弟関係でしたが、その年から5年連続盗塁王の結果が残せたのは、ノムさんのおかげだと思います。
【プロフィール】
赤星憲広(あかほし・のりひろ)/1976年生まれ。野村監督が「F1セブン」と名付けた俊足選手7人の“1号車”として、2001年から5年連続で盗塁王。
※週刊ポスト2021年1月1・8日号