近頃、ウイルスとの闘い以上に難しさを感じてしまうのが人付き合い、ではないか。コラムニストの石原壮一郎氏がコロナ禍のコミュニケーションについて指摘する。
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新しい年になっても、新型コロナの感染拡大はますます勢いを増しています。のんびりなタイミングで中身も中途半端な印象は否めませんが、政府は7日に東京、埼玉、神奈川、千葉の一都三県に対して「緊急事態宣言」を再発令しました。
世の中が不安に包まれている状況が長く続いているせいか、人と人との関係が何だかギスギスしています。周囲の人とささいなことでぶつかったり、ニュースや他人を見て腹が立つことが増えたり……。あなたにも身に覚えがあるのではないでしょうか。ネットやSNSでも、どうでもいい熱い論争がいつも以上に繰り広げられています。
衝突や軋轢をかわして心を穏やかに保つのも、コロナ禍における重要な“戦い方”のひとつ。悪気はないんだろうけど「面倒臭いこと」を言われたときに、どう無難にあしらうか。あらかじめイメージしておきましょう。
【ケースその1】陰謀論に染まった人をあしらう
知り合いが座り気味の目つきで「政府が発表する陽性者の数は信用してはいけない。じつはこういう裏があって……」「マスコミはこういう意図で嘘ばかり報じていて……」といった類のことを熱く語ってきました。そりゃまあ、何事にも多少の裏事情はあるでしょうけど、言っていることが極端だし矛盾と突っ込みどころに満ちています。
うっかり反論したら、さらに面倒なことになるのは確実。まともに取り合えば取り合うほど、不愉快な気持ちもふくらんでしまいます。その人には、そうやって陰謀論にすがらずにはいられない理由があるのでしょう。
「へえー、いろんな考え方があるんですね」
「なんか難しくて、ボクの頭では理解できそうにありません」
「○○さん、勉強家ですね」
場の状況や相手との力関係によって、この3つのどれかを繰り出しておきましょう。もちろん、自分の心の平穏を保つために、その後は徐々に距離を置くことも大切です。「ああ、この人はやがてまわりに誰もいなくなるんだろうな」と、他山の石にしつつ同情の目を向けてしまうのも一興。ちょっと気の毒ですが、自業自得なので知ったこっちゃありません。
【ケースその2】「俺のコロナ論」を語る人をあしらう
さっきと似てると言えば似てますが、感染対策の効果や今後の感染拡大の見通しについて、さも「俺だけは真実を知っている」と言いたげな口調で、持論を熱く語る人が後を絶ちません。しょせん素人のくせに、しょせんネットの情報を拾い読みしただけのくせに、なぜそんなに自信満々になれるのか不思議です。
面と向かっての場合は、さっきの3つのセリフを活用しましょう。自分のSNSの投稿に対して、この手の人がこの手のコメント(「これこれこうしない限りダメなんです」系)をしてきた場合は、やり取りを読んでいる第三者の目を意識しつつ、もうちょっとおちょくりの要素を入れたいところ。
「なるほど、そう来ましたか。勉強になります」
「いろんな方がいろんな根拠でいろんなことをおっしゃってますよね」
「○○(本業や前からの趣味)だけじゃなくて、医学にも詳しかったんですね」
察しがいいとおちょくられていることに気付きそうですが(とくに3つ目)、陰謀論よりムキになられる可能性は低いでしょう。万にひとつぐらい有益な情報があったとしても無意味に心乱されるデメリットのほうがはるかに大きいので、すべて聞き流すというスタンスで何ら問題はありません。