後方左側の女性3人の中央が國府田さん。「当時、私は23才。目の前にジュリーがいるのに、直視できない自分がいました」
野球大会での奇跡のショット
ジュリーは野球少年。スターになってからも、趣味で野球を続けていました。これ(左写真)は、広島公演のときに、所属していたレコード会社「ポリドール・レコード」の広島営業所の社員たちと広島市内で野球大会をしたときの一枚です。
私たちファンクラブ広島・山口支部から、いつも広島で野球大会をしてほしいと関係者にお願いしていました。だから、自分たちも関係者として特別に球場に入ることができました。こんな間近でジュリーを見ることができるなんて……と胸がいっぱいだったことを覚えています。ジュリーは背番号「26」で、たしかピッチャーでした。投げる姿も打つ姿も美しかったです。
公式ブック
1985年に出版されたジュリーの公式本『我が名は、ジュリー』(中央公論社)は、全編、エッセイストの玉村豊男さんとの対談形式で、よくここまで語ったなと思うぐらい、いろんなことが綴られています。
面白いのは、中学時代の通知表や最初の奥さん(元「ザ・ピーナッツ」の伊藤エミさん)との婚姻届、健康診断で撮ったレントゲンの写真などのコピーが随所随所に綴じ込まれていることです。よく見ると、ジュリーは中学校のときの音楽の成績が「3」なんです。それ以外は4と5。成績優秀だったんですね。
【プロフィール】
沢田研二(さわだ・けんじ)/1948年6月25日生まれ。京都府出身。1967年、ザ・タイガースでデビュー。『シーサイド・バウンド』や『君だけに愛を』などで人気を博す。1971年11月、シングル『君をのせて』でソロデビュー。1973年4月に発売した『危険なふたり』が65万枚を超えるヒットに。1977年5月に発売した『勝手にしやがれ』で第19回日本レコード大賞を受賞する。シングルは75枚、オリジナルアルバムは45枚(いずれも沢田研二名義)。2021年には山田洋次監督の『キネマの神様』に菅田将暉とともにW主演する。
國府田公子さん/ファン歴53年。広島県出身。1998年から私設ファンサイト「Julie’s World」を立ち上げ、その内容をまとめた『沢田研二大研究』(青弓社)を2019年に出版。不動産会社勤務。
取材・文/廉屋友美乃 写真提供/國府田公子さん
※女性セブン2021年1月28日号