やっと言えたのは、彼女が亡くなる数日前だった。もう話せないし、意識があるかどうかもわからない。布団の中で手を握って、「スミちゃん、たいへんだったね」って言ったら、ギュッと握り返してきた。その次に、
「子どもたち、あいつらみんないい子だね。いい子に育ててくれて、ありがとうね」
そう言ったら、さっきの何倍も強く握り返されて、目もちょっと滲んでるみたいに見えた。
近くにいた義妹を呼んで「ほら、涙出てるよね」って聞いてみた。彼女も「そうね、泣いてるわね」って合わせてくれればいいのに、「うーん、出てると言えば出てるかなあ」なんて、冷静に言われちゃって。
それが、ぼくとスミちゃんとの最後の会話です。ぼくの「ありがとう」は間に合ったのかな。きっと間に合ったよね。
死に顔は見ていない
スミちゃんは、こうして旅立った。でも、最初に話したみたいに、ぼくはスミちゃんが「死んだ」という実感はまだない。
葬儀は、身内だけのこぢんまりとしたものだった。ぼくは、火葬場でも祭壇のスミちゃんの写真にも、一度も手を合わせなかった。家にある仏壇にだって、一度もお線香をあげたことがない。だって、そんなことしたら、まるで死んじゃったみたいじゃない。
恩人が亡くなったときも大切な仕事仲間が亡くなったときも、お葬式では手を合わせないことにしてる。「顔を見てやってください」って言われるけど、全部断わってきた。元気なときの顔だけ覚えておきたいからね。もちろん、スミちゃんの死に顔も見てません。まだ別れを言っていないんだから、ぼくの中では、スミちゃんは生きてます。
スミちゃんについては、まだまだ知らないことだらけ。3人の子どもたちとも、それぞれ物語があるはずだし、義妹からも近所の友達からも、スミちゃんはどういう人だったのか、どんな毎日を過ごしていたのかを教えてもらいたい。
今は、もう一回あらためてスミちゃんと出会ったみたいな気持ちになってる。未知の部分を知るのが楽しみ。「遺される」っていうと寂しい響きだけど、思いがけない特典が付いてきちゃった。
【インタビュー・構成】
石原壮一郎(いしはら・そういちろう)/1963年三重県生まれ。コラムニスト。「大人養成講座」「大人力検定」「恥をかかない コミュマスター養成ドリル」など著書多数。
※週刊ポスト2021年2月12日号