新聞の発行部数も広告費も年々下がり続けている
何兆円もの税金をつぎ込む国家プロジェクトであり、かつ国民や世界のアスリートをコロナ感染させるリスクも背負う大会なのだから、もっと突っ込んだ取材と報道があってよいはずなのに、そうなっていない。やはりそこには「スポンサーだから」という損得勘定があるのではないかと疑わざるを得ない。元博報堂社員でノンフィクション作家の本間龍氏がズバリと指摘する。
「五輪史上初めて新聞社がスポンサーになったことは諸悪の根源だと思います。大事な問題を批判できなくなってしまった。例えば、当初は7000億円とされていた開催費用は今や3兆円を超えています。なぜそうなったか、新聞社がきちんと検証して、そのつど批判すべきだったのにできなかったことが大きいでしょう。もちろん系列のテレビも批判しません。ほかにも、海外では大きく報じられている招致にまつわる裏金疑惑や、無償で11万人を働かせるというボランティア問題、酷暑の7月、8月開催の是非といった問題をことごとくスルーしてきたのです」
自分たちがカネを出したイベントだから開催してもらいたいというのは心情としてはわからなくもないが、そもそも五輪にカネを出すことが、新聞社にとってどういうビジネスになるのか。本間氏は元広告マンの眼でこう指摘する。
日経新聞は元旦誌面でオリンピック特集と並んで広告がズラリ(時事)
「オリンピックがあれば、スポンサー企業は新聞やテレビに広告を出してきます。新聞社がスポンサーになれば、そういう広告が入りやすくなるのです。例えば今年の元旦の新聞各紙には、新年の別刷りが折り込みで入っていましたが、日経新聞の例でいえば、第2部の別刷りは上半分がオリンピック特集で埋め尽くされ、下に企業広告がズラリと並んでいます。そういう紙面を作りやすくなるという利点があります」
広告を集めることが悪いわけではないが、少なくともビジネスと編集紙面は完全に切り離す仕組みや、そのことをはっきり読者・国民に宣言するくらいのことは必要ではないか。『週刊ポスト』(2月15日発売号)では、様々な「五輪利権」を徹底取材で特集している。