近ごろネット動画やアニメからモルモット人気が高まっている(イメージ)
「ペットショップって、動物が好きな人には絶対無理な仕事だってわかりました」
素直に語る篠山さんだが多くの「元・店員」となった人々の退職理由の大半はそれだ。好きなだけで続く仕事などないが、ことペットショップに至っては命の売買、ましてホームセンターやショッピングモールに出店している大半の「売らんかな」ペットショップは商売と割り切れる人でないと無理だろう。民法上の「有体物」、つまり「物」としてペットを扱える人でないと難しい。仕事だからと言ってしまえばそれまでだが、道徳なき経済は罪悪だ。
結局のところ、以前から繰り返し指摘してきたように、あまりに野放しな日本の生体販売が原因であることは明白である。日本の動物愛護法は改正され、昔は罪が軽過ぎて器物損壊罪で裁いたほうがマシだったものが昨年、動物愛護管理法違反罪(5年以下の懲役又は500万円以下の罰金、それまでは2年以下の懲役又は200万円以下の罰金だった)として罰則が強化された。それでも遺棄、虐待はもちろん飼い主の資格のおおよそ無いような連中が減る気配はない。むしろコロナ禍のペットバブルで売る側はウハウハだ。
「店にもよるのでしょうけど、お金になれば命なんかどうでもいいって人、ほんとにいるんですね。店も客も、理解できないヤバい人って本当にいるって知りました」
篠山さんはしなくてもいい経験をしてしまったかもしれない。それでもいま、実家で保護猫を2匹飼っているそうで、不本意ながらもその店で「命」を学んだ結果なのだろう。筆者はペットショップ関係者には必ず聞くことがある。これが目的だと言ってもいい。売れ残った子はどこにいくのか。犬、猫、鳥、小動物、毎月仕入れる命のすべてが売り切れるわけでも、店員が引き取れるわけでもあるまい。これを篠山さんにも聞いてみた。
「短い間だったので犬や猫はわかりません。他の店に行くだけでした。鳥は落鳥(鳥が死ぬこと)しなければずっと店で売るそうです。パピー(幼い子供)が売れ筋の犬や猫と違って、鳥は成鳥のままでも売れますからね。ハムスターは200円とか投げ売りすれば売れます。まとめてごっそり買う人もいます。何に使うのか知りませんが常連で、虐待のためかもしれないって店で噂してました」
あまり多くは語ってくれなかった。これもいつものパターンであるが、ごく短いことを考慮すれば仕方のないことかもしれない。
どんな相手でも客は客、お金さえ払えば動物は手に入る。ペット禁止の団地住民だろうが、老い先短い独居老人だろうが、異常な虐待マニアだろうが金さえ払えば命が手に入る。どこの国でもそういう闇があるかもしれないが、この国の命の売買はあまりにコンビニエンス、お手軽すぎる。さらなる厳罰化と規制が必要だろう。動物の命をないがしろにする国は、人間の命もないがしろだ。結局のところ人間に返ってくる。弱い立場の「命」から順番に苦しめられる。やがて人間も物として扱われる。
あなたと出会った動物にも感情があり記憶がある。いったん出会ってともに生活すれば、我が子同然だ。その子は、あなたを疑わないしあなたと過ごした日々を忘れない。どんなに短くても覚えている。たとえ殴られても、病気で苦しくても、捨てられてもあなたのことが大好きだ。半年たらずで見知らぬ他人にサプライズプレゼントの道具にされて捨てられたって、あなたのことが大好きだ。
それでもあなたは、手放しますか?
●ひの・ひゃくそう/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社勤務を経てフリーランス。2018年、評論「『砲車』は戦争を賛美したか 長谷川素逝と戦争俳句」で日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞を受賞。『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社)寄草。著書『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)など。