被災ピアノを再生させた楽器店のオヤジさんとの約束
お風呂を設営した近くに商店街があった。そこで長年、楽器店を営むサルコヤ楽器店の店主、井上晃雄さんと出会った。彼は、津波で流され、泥水に浸かったピアノを再生しようとしていた。口癖は、「泥に負けて終わる人生は嫌だ。ここで終わってたまるか」
泥まみれのピアノは細かいパーツに分解され、きれいに洗われ、組み立て直された。オヤジさんは、ぼくに再生ピアノの物語を絵本にしてほしいと言った。ぼくがぐずぐずしている間に、彼は亡くなった。いつか、約束を果たしたいと思っている。
避難所の診療所は復興と地域医療の拠点に
震災直後にぼくが電話をかけ続けた遠藤先生は、しばらくして南相馬市小高区の人たちが避難している地区の診療所長になった。会津にある病院の副院長の職を蹴って、被災者の要望に応えたのだ。診療所をつくるために、借金も背負っている。彼のすごいところは、院長も看護師も管理栄養士も事務長も、みんな月給20万円と決めたことだ。それは今も続いている。
仮設のプレハブの診療所はやがて、立派な診療所に建て替えられた。ぼくはこの外来で、何度も講演をした。文化放送のラジオ「日曜はがんばらない」の相方、村上信夫さんを連れて行ったこともある。さだまさしさんはNHKの番組で、この診療所から全国に歌を届けた。現在は駐車場に、新型コロナ対応の発熱外来ができた。10年たって、地域の命を守る拠点としてしっかりと根付いている。
支援したい人を東北へ案内する役割
被災地支援で、ぼく個人ができることは限られている。けれど、何かしたいという人はたくさんいて、そういう人たちを被災地に案内するのも、ぼくの役割ではないかと思ってきた。
病気や障害をもった人たちと毎年、東北支援ツアーを実施した。障害のある人100~150人、さらに介助をするトラベル・サポーター50人ほどで、東北の観光地を訪ね、温泉に入ったりした。旅行者がまだ少なかったので、とても喜ばれた。
永六輔さんや加藤登紀子さん、神野美伽さん、梅沢富美男さん、園まりさん、菅原文太さん、柳田邦男さんたちとも被災地を訪ねた。
福島県田村市から講演を頼まれたとき、ぼくは講演料はいらないと言うと、「このお金で、テレビに出ているようなタレントさんを呼んでもらえませんか」と保健師さんに言われた。