ピーコ一覧

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【動画】おすぎとピーコ、同居からの別居「もう一緒に住めない」
【動画】おすぎとピーコ、同居からの別居「もう一緒に住めない」
 おすぎさんとピーコさんの現在の様子に迫りました。 おすぎさんに異変が訪れたのは昨年の夏頃。 収録中、注意力が散漫になるなど、認知症の初期段階のような兆候が見られるようになったそうです。 そこでピーコさんと話し合い、横浜の自宅で同居することになりました。 兄弟での老老介護生活が始まりましたが、2人は毎日激しいケンカを繰り返すようになったそうです。 おすぎさんが外を徘徊し、警察が保護することが続き、最終的に、「もう一緒に住めない」という状況に。現在、ピーコさんは横浜の自宅に、おすぎさんは近隣の高齢者施設に入居しているそうです。【↑ 上の写真クリックで動画へ】
2022.05.21 16:00
NEWSポストセブン
おすぎ(左)とピーコ(右)
おすぎとピーコも直面か 在宅介護の6割近くが「老々介護」という現実
 息の合った掛け合いで、昭和、平成、令和と駆け抜けたおすぎ(77才)とピーコ(77才)が、想像を絶する状況に直面している。 2010年、福岡での仕事が増えていたおすぎは、福岡にマンションを借り、東京には週に一度のペースで通う生活を送るようになる。65才での“地方移住”だった。そのおすぎに異変が訪れたのは昨年の夏頃だったという。「収録中、集中力が散漫になることが増えたんです。物覚えも悪くなっていたようで、“番組に迷惑をかけるかもしれない”と本人も不安を抱えていました。どうも認知症の初期段階のような兆候があったそうです。 そこでピーコさんと話し合い、横浜の自宅で同居することになったんです。昨年の秋頃から同居となりました」(福岡の番組関係者) おすぎは元気な頃から、「ピーコがいてくれてよかった。老後は2人で暮らしたい」「老後のお金はもう貯金してある。ピーコはお金がないから、アタシが面倒をみないと」とよく話していたという。 兄弟での「老老介護」生活が始まったわけだが、2人を知る共通の知人は、「結果的にこの同居がよくなかったのかもしれない」と嘆く。「介護生活のなか、これまでとは違うおすぎさんの様子にピーコさんはショックを受けると同時に、彼自身にも同じような症状が出始めたんです。記憶力が落ちていき、お互いに感情の起伏が激しくなって、毎日のようにけんかをしていました。時にピーコさんが、おすぎさんを“いますぐ出て行け!”と自宅から追い出すこともありました。行くあてもなく街を徘徊するおすぎさんを警察が保護することが続き、“これ以上は一緒に住めない”という状況になったのが、今年の2月ぐらいです」(2人の共通の知人) 現在、ピーコは横浜の自宅に、おすぎは近隣の高齢者施設に入居している。「おすぎさんは介護認定も受けており、成年後見人が決まりそうですが、自宅でひとり暮らしを続けるピーコさんも心配です。いまは、行政のかたが週に何度かピーコさんの自宅に様子を見に行っている状況。ただ、部屋にはゴミがたまっていて、身の回りのことは何もできていないように見えます。 最近、かつての友人らに“おすぎが死んだ”“お骨になって帰ってきた”“葬式も済んだ”などという妄言を言いふらしていて、関係者を困惑させています。しかも、それは冗談という様子ではなく、幻を信じ込んでしまっているようなんです」(前出・2人の共通の知人) ピーコはおすぎが施設に入ったことさえ知らないという。 両親と姉2人はすでに他界。おすぎとピーコはこの世でたった2人の肉親となっていた。喜寿を迎えた兄弟の老老介護。近隣住民はその様子を目撃していた。「今年の初め、外出するお二人を何度か見かけました。お体は元気そうでしたよ。おすぎさんは目が合うと軽く会釈をしてくれました。外に出るときはいつもピーコさんがそばに寄り添うように歩いていて、甲斐甲斐しくサポートをされているようでした」(近隣住民) 厚生労働省の2019年の調査によれば、在宅介護のうち、65才以上の高齢者が自宅で高齢者を介護する「老老介護」の割合は59.7%と過去最高となった。要介護者から見た介護者の続柄は「配偶者」と「子」で約半数を占めるといわれている。だが、今後、その割合が変化していく可能性がある。介護ジャーナリストの末並俊司さんが解説する。「きょうだいが多いとされている団塊の世代が、2025年には全員、後期高齢者になります。未婚のケースもあれば配偶者の他界や子供に面倒をみることを拒否されるなどの理由で、きょうだいを頼らざるを得ないケースも増えると考えられています」 ましてやこれがLGBTQといった性的マイノリティーとなると、問題はさらに複雑になる。「高齢になるほど性的マイノリティーに対する理解が乏しいため、高齢者が差別を恐れずに通える高齢者施設は少ない。例えば、性同一性障害の人が、介護施設で男性と一緒に入浴することが苦痛であると言っても、それを理解してくれる施設はほとんどないと思います。LGBTQのかたがたは独居で高齢期を迎える可能性が高く、介護をしてくれる配偶者や子供がいないケースが想定され、孤独死のリスクが高まる状況です」(前出・末並さん)※女性セブン2022年5月26日号
2022.05.11 07:00
女性セブン
1979年のインタビューにて
おすぎとピーコ「50年ぶり同居で老老介護」の顛末 互いの消息を知らぬ現状
 軽妙な掛け合いで、一躍人気者となったおすぎとピーコ。だが、最近2人のトークを耳にする機会がなくなった。突然テレビから消えた双子のいまを追うと、想像を絶する近況が明らかになった──。「おすぎが帰ってくるのよ。具合が悪くなっちゃって、面倒みてやらないとダメなの」 昨年12月、バラエティー番組『5時に夢中!』(TOKYO MX)に出演したピーコ(77才)はそう話し始めた。この日のトークテーマは「あなたの周りのやっかいな高齢者」。共演者がピーコの双子の弟・おすぎ(77才)の近況について尋ねると、福岡を拠点にする弟の体調が芳しくなく、近いうちに同居を始めることを唐突に明かしたのだ。 不機嫌そうな顔で「ちょっと嫌なの」とつぶやきスタジオを笑わせたが、ピーコは昨年から自身の環境を変えていた。昨夏、個人事務所「オフィスおすぎとピーコ」をひっそりと閉鎖。おすぎが姉から相続した神奈川県横浜市内のマンションに引っ越しを済ませていたという。 約50年ぶりとなる兄弟の同居生活。衝突と雪解けを繰り返した名コンビは、人生の最晩年を並走しようとしていた。だが──。4月下旬、横浜の自宅から出てきたピーコに、おすぎとの同居生活について聞くと衝撃の言葉が飛び出した。「おすぎ? おすぎはもう死にました」 絶句する記者にピーコはこう続けた。「ずっと認知症で入院していたのですが、2月に亡くなりました」──存じ上げておらず申しわけございません……。「亡くなって、お骨になって帰ってきたの。もうこれで……すみません」 そう言うとピーコは涙ぐみながら自宅へと戻っていった。老老介護を始めたばかりだった兄弟に何が起こったのか。ブレイク、亀裂、和解…波乱万丈の2人の仲 2人の近況を語る前に、まずは激動の半生を振り返る。おすぎ(本名・杉浦孝昭)とピーコ(本名・杉浦克昭)は、1945年1月18日、横浜市に生まれた。両親と13才年上の長姉、9才上の次姉がおり、5分早く生まれたピーコは兄としてしつけられ、常におすぎを気にかける弟思いの兄だった。 高校卒業後、紆余曲折を経て兄はファッション、弟は映画評論の道へ進むと、1975年に転機が訪れる。ラジオ番組『一慶・美雄の夜はともだち』(TBSラジオ)に一緒に出演し、マシンガントークが大ウケ。その後、「おすぎとピーコ」として本格的に活動を始め、テレビやラジオで“コンビ”として引っ張りだこに。だが兄弟の関係には深刻な亀裂が生じていた。「当時、イケイケな話術で視聴者を虜にしていたのは、主におすぎさんで、ピーコさんに“才能のないアナタがおすぎの足を引っ張っている”と面と向かって批判する業界関係者もいたそうです。おすぎさんからも“アタシはピーコより才能がある”という態度が透けて見えることがありました。人気絶頂の裏で2人はけんかが絶えなかった。当時のピーコさんは“おすぎとは3日以上仲がよかったことがない”とも話していました」(芸能関係者) 1982年、積もりに積もった鬱憤がついに爆発した。出張先のホテルで、ふとしたきっかけから兄弟は取っ組み合いの大げんかを始めた。近くにいた友人が止めなかったら、どちらかが死んでいたかもしれないほどの衝突だったという。「彼らはこれを機に“別々の道を行こう”と決めて、コンビの仕事を断るようになったのです」(前出・芸能関係者) 兄弟に再び転機が訪れたのは1989年。ピーコの左目に悪性腫瘍が見つかり、左眼球摘出の手術を受けることになったのだ。兄の窮地にもかかわらず、おすぎは一向に見舞いに来なかった。「実はこのとき、おすぎさんはピーコさんが予定していた仕事をすべて肩代わりし、全国を飛び回っていました。おかげでピーコさんは仕事を減らさずにすみました。さらにおすぎさんは、ピーコさんのために義眼を選び、友達とお金を出し合ってプレゼントしたんです。犬猿の仲といわれた兄弟ですが、おすぎさんは誰よりもピーコさんを心配していた。 手術後、満を持しておすぎさんがお見舞いに訪れたとき、医師からがんの転移がないと告げられました。2人は抱き合ってわんわん泣いて喜んだそうです」(前出・芸能関係者) 雪解けとともに、運気も好転した。当時高視聴率を誇った『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)で中居正広がピーコのものまね「ヒーコ」を披露するとコンビの人気にまたもや火がつき、2人はその後『笑っていいとも!』(フジテレビ系)など人気番組のレギュラーを務めた。50代での再ブレークだった。「もう一緒に住めない」 年を重ねるにつれて、おすぎは活動の拠点を地方に移すようになった。福岡県を中心に九州地方でラジオやテレビ番組に出演。九州での仕事量が東京での仕事量を大きく超え始めていた2010年、おすぎは福岡にマンションを借り、東京には週に一度のペースで通う生活を送るようになる。65才での“地方移住”だった。そのおすぎに異変が訪れたのは昨年の夏頃だったという。「収録中、集中力が散漫になることが増えたんです。物覚えも悪くなっていたようで、“番組に迷惑をかけるかもしれない”と本人も不安を抱えていました。どうも認知症の初期段階のような兆候があったそうです。そこでピーコさんと話し合い、横浜の自宅で同居することになったんです。昨年の秋頃から同居となりました」(福岡の番組関係者) おすぎは元気な頃から、「ピーコがいてくれてよかった。老後は2人で暮らしたい」「老後のお金はもう貯金してある。ピーコはお金がないから、アタシが面倒をみないと」とよく話していたという。予期していた通り兄弟での「老老介護」生活が始まったわけだが、2人を知る共通の知人は、「結果的にこの同居がよくなかったのかもしれない」と嘆く。「介護生活のなか、これまでとは違うおすぎさんの様子にピーコさんはショックを受けると同時に、彼自身にも同じような症状が出始めたんです。 記憶力が落ちていき、お互いに感情の起伏が激しくなって、毎日のようにけんかをしていました。時にピーコさんが、おすぎさんを“いますぐ出て行け!”と自宅から追い出すこともありました。行くあてもなく街を徘徊するおすぎさんを警察が保護することが続き、“これ以上は一緒に住めない”という状況になったのが、今年の2月ぐらいです」(前出・2人の共通の知人) 現在、ピーコは横浜の自宅に、おすぎは近隣の高齢者施設に入居している。つまり、おすぎは亡くなっていなかった。「おすぎさんは介護認定も受けており、成年後見人が決まりそうですが、自宅でひとり暮らしを続けるピーコさんも心配です。いまは、行政のかたが週に何度かピーコさんの自宅に様子を見に行っている状況。ただ、部屋にはゴミがたまっていて、身の回りのことは何もできていないように見えます。 最近、かつての友人らに“おすぎが死んだ”“お骨になって帰ってきた”“葬式も済んだ”などという妄言を言いふらしていて、関係者を困惑させています。しかも、それは冗談という様子ではなく、幻を信じ込んでしまっているようなんです」(前出・2人の共通の知人) ピーコはおすぎが施設に入ったことを知らないという。 冒頭のように、ピーコは昨年末、テレビ番組で「おすぎが帰ってくる」と語ったが、すでにその頃には同居生活は始まっていた。「おすぎさんはレギュラー番組を昨年秋に降板し、年末以降は“休業状態”にあります。ピーコさんも同じような状況で、お仕事ができる状態にはなかったのですが、どういうわけか、本番になるとシャキッとする。年末の『5時に夢中!』に出演したときも、ギリギリまで出るか出ないかを悩んでいた。多少の記憶違いはありましたが、無難にこなせたと思っています。でも、今年に入って以降は仕事を断っています」(前出・2人の共通の知人) 性を超越し、昭和、平成、令和と駆け抜けたおすぎとピーコ。息の合ったあの掛け合いは、もう見ることはできないのだろうか──。※女性セブン2022年5月26日号
2022.05.10 07:00
女性セブン
諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師
東日本大震災から10年 鎌田實医師が続けてきた被災地との交流
 東日本大震災から10年が経った。被災地とそこで暮らす人たちとの関わりについて、諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師が振り返った。 * * * あの日、ぼくはひたすら電話をかけ続けていた。相手は、福島第一原発から20キロ圏内にある、南相馬市立小高病院(当時)の遠藤清次医師である。 テレビでは、刻々と原発の異常事態が明らかになり、住民の避難が始まろうとしていた。ようやく電話がつながったのは、3月16日未明。「生きていた!」と思わず叫んでしまった。 遠藤先生は、南相馬にあるもう一つの総合病院に、患者をつれて避難していた。酸素療法に用いる医療用酸素や、病院の生命線である発電機を動かす重油が残り少ないと窮状を訴えた。 すぐに、内閣府で働いていた厚生労働省の幹部職員に相談し、自衛隊の支援を受けながら、酸素や重油などを手配し、現地に運んでいくことになった。ここから、ぼくの東北支援が始まった。温かいおでん、お風呂で悲しみをいやす力を高める 被災地に初めて入る際、避難所ではまだ一度も温かいものを食べていないと聞き、大量のレトルトおでんを持っていった。底冷えのする体育館。熱々のおでんはとても喜ばれた。お酒を飲みたい人もいるだろうと思って、飲みたい人に缶ビールを一本だけ出した。津波で船を失った漁師の男たちが涙を浮かべて、「生き返った」と言った、その顔が今も忘れられない。 避難所には、諏訪中央病院の医師や理学療法士が泊まり込み、朝、「立ち上がってラジオ体操をしよう」と呼び掛けた。避難生活では、それまでの生活リズムが崩れる。それが続くと体調を崩し、高血圧や糖尿病、脳卒中、うつなどのリスクが高くなる。それを防ぐためにも、運動で筋肉を動かし、タンパク質や野菜をとることが大事。そのことを明確に意識させられたのは、東日本大震災での支援体験からだった。 お風呂に入れない人のために「千人風呂プロジェクト」も立ち上げた。石巻に2か所、仮設のお風呂を設営し、被災者に入ってもらった。お風呂で体も心も温まれば、悲しみをいやす力もついてくる。このお風呂は1年近く続き、延べ1万人以上の人が利用した。被災ピアノを再生させた楽器店のオヤジさんとの約束 お風呂を設営した近くに商店街があった。そこで長年、楽器店を営むサルコヤ楽器店の店主、井上晃雄さんと出会った。彼は、津波で流され、泥水に浸かったピアノを再生しようとしていた。口癖は、「泥に負けて終わる人生は嫌だ。ここで終わってたまるか」 泥まみれのピアノは細かいパーツに分解され、きれいに洗われ、組み立て直された。オヤジさんは、ぼくに再生ピアノの物語を絵本にしてほしいと言った。ぼくがぐずぐずしている間に、彼は亡くなった。いつか、約束を果たしたいと思っている。避難所の診療所は復興と地域医療の拠点に 震災直後にぼくが電話をかけ続けた遠藤先生は、しばらくして南相馬市小高区の人たちが避難している地区の診療所長になった。会津にある病院の副院長の職を蹴って、被災者の要望に応えたのだ。診療所をつくるために、借金も背負っている。彼のすごいところは、院長も看護師も管理栄養士も事務長も、みんな月給20万円と決めたことだ。それは今も続いている。 仮設のプレハブの診療所はやがて、立派な診療所に建て替えられた。ぼくはこの外来で、何度も講演をした。文化放送のラジオ「日曜はがんばらない」の相方、村上信夫さんを連れて行ったこともある。さだまさしさんはNHKの番組で、この診療所から全国に歌を届けた。現在は駐車場に、新型コロナ対応の発熱外来ができた。10年たって、地域の命を守る拠点としてしっかりと根付いている。支援したい人を東北へ案内する役割 被災地支援で、ぼく個人ができることは限られている。けれど、何かしたいという人はたくさんいて、そういう人たちを被災地に案内するのも、ぼくの役割ではないかと思ってきた。 病気や障害をもった人たちと毎年、東北支援ツアーを実施した。障害のある人100~150人、さらに介助をするトラベル・サポーター50人ほどで、東北の観光地を訪ね、温泉に入ったりした。旅行者がまだ少なかったので、とても喜ばれた。 永六輔さんや加藤登紀子さん、神野美伽さん、梅沢富美男さん、園まりさん、菅原文太さん、柳田邦男さんたちとも被災地を訪ねた。 福島県田村市から講演を頼まれたとき、ぼくは講演料はいらないと言うと、「このお金で、テレビに出ているようなタレントさんを呼んでもらえませんか」と保健師さんに言われた。 ピーコさんに相談すると、快諾してくれた。講演料のことを伝えると、「だったら、私ももらえるわけないでしょ」とピーコさん。シャンソンを歌うのでこのお金でピアニストを連れて行きましょうという話になった。しかし、そのピアニストも二人がもらわないことを知ると、自分もボランティアで行きたいと言い出した。 わらしべ長者ではないけれど、こんな方法をとれば10人くらい有名人を呼べるな、とピーコさんと大笑いした。結局、用意されたお金は田村市に寄付をさせていただき、地域の子どもたちのために使ってくださいというお願いをして落ち着いた。 女子プロゴルフを開催している大王製紙からは、被災地で開催したいという相談があった。専門家がゴルフ場を放射能測定し、安全を確認したうえで、開催されたのが2015年、いわき市でのエリエールレディスオープンである。日本女子プロゴルフ協会も積極的に協力してくれたこの大会は、福島県民にとって大きな励みになった。 こんなふうに10年の歩みを振り返ってみると、その場に行くことができたからできたものばかりだ。10年間、交流を続けた懐かしい人たちに会うために、早く新型コロナに打ち勝って、安心して東北へ行けるようになったらいいなと思っている。【プロフィール】鎌田實(かまた・みのる)/1948年生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県の諏訪中央病院に赴任。現在同名誉院長。チェルノブイリの子供たちや福島原発事故被災者たちへの医療支援などにも取り組んでいる。著書に、『人間の値打ち』『忖度バカ』など多数。※週刊ポスト2021年3月19・26日号
2021.03.12 07:00
週刊ポスト
読売新聞が約842万部の「号外」を発行したニュースとは?
読売新聞が約842万部の「号外」を発行したニュースとは?
 突発的な大ニュースをいち早く伝えるために、朝夕刊の新聞とは別に臨時で発行される「号外」。その発行部数は、どの新聞社もニュースの内容によって異なる。 たとえば読売新聞では、2018年2月17日の羽生結弦選手の五輪2連覇の号外は約50万部も発行し、各地で大きな反響があった。同新聞は2013年9月8日、東京五輪開催決定を伝える号外を約842万部発行し、街頭配布に加えて購読者の家庭に宅配するなどした。 地方紙の場合も規模は違うが、発行までの流れは全国紙とほぼ同じだ。ただ、全国紙のように国内外各地に記者を置いていないため、世界的・全国的なニュースは、加盟する通信社などから情報を入手することが多い。「共同通信からニュースの一報が入るたびに“ピーコ”音がなる仕組みなのですが、超特大ニュースの場合は、キンコンカンコンというチャイムが鳴ります。この鐘の音がスピーカーから響くと、フロアに緊張感が走り、号外にするかを検討します」(地方紙元編集局責任者) ニューヨーク・タイムズ東京支局取材記者の上乃久子氏によると、海外では日本ほど頻繁に号外は出ないという。「日本にいる外国人特派員たちは日本の号外が珍しいようで、号外を集める人もいます」(上乃氏) かつて号外発行を判断する立場にあった新聞社の元編集部門幹部は、こう打ち明ける。「号外には大きな経費がかかるうえに売り上げはゼロ。一方で報道機関の使命があり、その狭間で号外を出す必要性があるニュースかどうか迷うことも。しかし、『迷ったら出す』が私の判断基準でした。実際、出して怒られることはありませんでした。記者時代に昭和天皇崩御の号外の予定稿を書いたことがありますが、来年の新元号決定の号外は全国各新聞社から出ると思います」“世紀の号外”を街頭で手にできれば、「時代の目撃者」になれるはずだ。※週刊ポスト2018年6月15日号
2018.06.07 07:00
週刊ポスト
在宅医療と病院では、患者のケアの方法がここまで違う
在宅医療と病院では、患者のケアの方法がここまで違う
 自宅で最期を迎えたい――そんな希望はありつつも、実際は8割ほどが病院で亡くなるのが今の日本。そんな中、在宅医療関連のエピソードが詰まった『なんとめでたいご臨終』を著した在宅医療の医師・小笠原文雄さんと女優・室井滋さんの対談が実現した。小笠原:室井さん自身はどんなふうに最期を迎えたいですか?室井:私も病院ではなく絶対に家がいいですね。占い師の人に、「あなたは長生きだけど、最期はひとりだよ」って言われたことがあるんですが(笑い)、人にあまり迷惑をかけないように、自分でも居心地よく旅立ちたいですね。だから、すっぴん、素のままの自分でいられる家がいい。 病院が患者さんを診るのと、在宅で病気の人をみんなでケアする方法は、随分違う気がします。病院は患者さんに何かあったら大変だから、みんな診るんだけど、在宅では、小笠原先生をはじめ、みなさんの気持ちに守られている感じがしました。小笠原:在宅と病院で何がいちばん違うかというと、家では伝達手段が「気」なんですよ。しゃべれなくなっても気は伝わります。ところが、病院では生きているか死んでいるかを機器が見ている。心電図モニターのピーコピーコという音で、ナースセンターが監視しています。室井:そのうちロボットに看取ってもらうようになるかもしれませんね。「亡くなりました、ピー」みたいに。小笠原:そう、ロボットと一緒です。病院では機器で管理されるけど、家では人間の気とか、いのちの暖かみが大事にされる。例えば、患者さんが1階に寝ていたら、ご家族も1階にいなきゃと思われるんですが、ぼくは「2階で寝ていて構いませんよ」と言うんです。2階にいても、気がどーんと届いて、容態が変わったことがわかったりするんですよ。室井:それはすごいですね。小笠原:そして穏やかに亡くなって、家族の寝顔を見てからあの世に旅立つ。だから介護する家族のかたには、つきっきりで生きているか死んでいるかを心電図モニターのように見ているのは、ある意味、患者さんへの虐待ですよ、と言っています。室井:なるほど。小笠原:ただ、病院が心電図モニターで管理するのは仕方がない面もあるんです。家族が病院に来て亡くなっていることに気づくと、「放っておかれた」と訴えられますから。病院は家族にお別れをさせるのが務めと思っているところがあるので、ピーッと心肺停止になったら、家族が来るまで心臓マッサージをして、1時間でも2時間でも、体が温かい状態を保つこともあります。室井:そんなことをするんですか。小笠原:ぼくも病院勤務時代にやっていましたが、そうすると、心臓マッサージは強く押すので、胸の骨がボキッ、ボキッと折れるんですよ。室井:もう誰のためなのか、わかりませんね。小笠原:それでも家族から苦情が出ない医療をやらざるを得ない。そういうつらさが病院にはあります。ぼくたちは在宅ホスピス緩和ケアを行うので、患者さんの痛みと苦しみは取ってあげて、ご家族には「寿命が来たんだから、『旅立ちだよ』って送り出してあげましょうね」と言います。そうやってご家族のかたが心の整理がつくようにしてあげる。【information】 小笠原文雄先生が7月17日、「なんとめでたいご臨終の迎え方」をテーマに、東京・小学館で講演会を開催します。注目を集める「在宅医療」の奇跡と「いのちの不思議」についてお話しいただく予定。詳しい内容はhttps://sho-cul.comに。※女性セブン2017年7月13日号
2017.07.01 07:00
女性セブン
永六輔とは何者だったのか? 一周忌を前に孫が足跡辿る
永六輔とは何者だったのか? 一周忌を前に孫が足跡辿る
 数々の国民的名作を遺し、昨年7月に逝去した永六輔さん(享年83)。一周忌を控え、様々な追悼イベントやテレビ番組が予定されている。ところが、「永六輔って何者!?」と疑問を唱え、その足跡を追い続けている若者がいる。永さんの孫で、東京大学在学中の永拓実さん(20歳)だ。拓実さんが語る。「祖父は著書だけでも200冊以上の作品を残しましたが、僕たち家族には、直接、何の教えも残さないまま逝ってしまいました。家庭では他愛のない話ばかりしていたうえ、僕たちは本名で『タカオ(孝雄)くん』と呼んでいた。幼い頃から『永六輔さんって、どんなところがすごいの?』とたびたび聞かれてきましたが、本当に何も答えられませんでした」 晩年は、パーキンソン病や前立腺がんなど長い闘病生活を続けていた永六輔さん。拓実さんは、亡くなる2年ほど前から漠然と、「死期が近いのではないか」と焦り始め、偉大とされる祖父のもとに足繁く通ったという。何らかの教えや学びを直接、得るためだった。「ニュース番組を一緒に見ながら様々な話題を振りました。本質的かつ哲学的な議論をするためです。しかし、何を振っても豆知識ばかり披露して、笑って終わり。心に残るようなことは何も言ってくれません。正直、疑いました。世間はすごい人だと言うけど、本当は時代の流れでたまたまうまくいっただけなんじゃないか、と」 ついには本質的な議論を諦めた拓実さん。しかし、永さんが亡くなると、世間の反応は尋常ではなかった。テレビや新聞で「戦後の日本文化をリード」「昭和を代表する偉人」などと連日報道され、通学で通る渋谷のスクランブル交差点の大型ビジョンにも、祖父の顔が映し出された。さらに、都内で開かれた「お別れの会」では衝撃的な出会いにも遭遇する。「参列者の中に激しく泣いている若い女性を発見しました。気になって聞いてみると、自殺を考え、富士山麓に行ったんだけど、永六輔の明るい声をラジオで聞いて、思いとどまったそうです。しかも、その場で番組宛に出したハガキにはすぐに祖父から返事がきて、その後も祖父のラジオを楽しみに生きてきたのだ、と」 女性は「永六輔さんから人生のすべてを学んだといっても過言ではない」と、話を締めくくった。これを聞いた拓実さんは、再度、意を決する。「永六輔はやっぱりすごい人。しかも人の命を救うほどに。祖父のことをもっと知らなくてはいけない」と。 その後、拓実さんは永さんとの記憶を辿り、100冊近くの著書と、書斎に遺されていた手帳やノート、メモなどを読み漁り、そのうえで親交の深かった人々を約30人、訪ね歩いた。 永さんの活躍は、テレビやラジオ、作詞、執筆など多岐にわたり、作詞では『上を向いて歩こう』『見上げたごらん夜の星を』『こんにちは赤ちゃん』、著書では『大往生』など、世代を超え、今も歌い、読み継がれている作品も多い。しかし、一番大切にしていたのは「言葉」だったという。「『言葉の職人』とも称されていた祖父ですが、間違いなく一番こだわっていたのは『言葉』です。取材をすればするほど、言葉に関する証言がたくさん得られましたし、親友の黒柳徹子さんも『永さんの活躍は多岐にわたるけど、常に根底にあるのは言葉だったと思う。永さんの言葉をいつまでも大事にして生きていきたい』とおっしゃっていました」 永さんの言葉によって、人生に大きな影響を受けたのは前述の若い女性だけではない。黒柳徹子、久米宏、タモリ、ピーコ、さだまさし、清水ミチコなど、多数の著名人にも影響を与えていた。実は、拓実さん自身も、永さんの言葉を実践することで、人生が激変した一人だ。「取材の中で見つけた祖父の言葉に『無駄なことは何もない。無駄にする人がいるだけだ』というのがあります。僕は高校時代、バスケットの全国大会の常連校で部活に明け暮れましたが、怪我で一線を退かざるを得なくなった。その後、半ば自暴自棄に陥り、何もしない日々を過ごしていた。しかし、何もしない自分の愚かさに気づき、その後は部活ができない鬱憤を勉強にぶつけ、東大にも合格できました」 前出の蒼々たる著名人らに突撃取材して拓実さんがまとめた著書『大遺言~祖父・永六輔の今を生きる36の言葉~』は、6月30日頃、発売される予定だ。■永拓実(えい・たくみ):1996年、東京都生まれ。東京大学在学中。國學院久我山高校時代は、名門のバスケットボール部に所属し、スポーツに明け暮れる。大学では学業に励む傍ら、国内や海外を一人旅するなどして地域文化に触れ、2016年、インドでの異文化体験をまとめた作品がJTB交流文化賞最優秀賞を受賞。母は元フジテレビアナウンサーの永麻理。
2017.06.03 07:00
NEWSポストセブン
デーブ・スペクター 30年活躍できる背景に日本愛と日々の研究
デーブ・スペクター 30年活躍できる背景に日本愛と日々の研究
 かつては珍しがられた「外国人タレント」も今や当たり前になっている。入れ替わりの激しい中、30年の長きにわたって活躍し続けているのがデーブ・スペクターだ。『サンデー・ジャポン』(TBS)や『とくダネ!』(フジテレビ)といったワイドショーのコメンテーターとしてもおなじみだ。そんなデーブの「オンリーワン」な魅力とは? フォロワー数110万人を誇る彼のTwitterには、ユーモアあふれるダジャレが毎日投稿されている。「フランス製のポテトチップスはパリパリ」「頼れる観光地→すがる海峡」「じゃんけんが得意な歌手→aikoでしょう」 注目すべきはその「語彙力」だ。森友学園による国有地買収問題に端を発する話題に触れたときには、「昭恵夫人の行き付けの喫茶店→公人コーナー」「官僚用の風邪薬→ソンタック咳止め」「籠池ファミリーが呼ぶタクシー→抵当無線」といったように、言葉の知識が多少なりとも求められるダジャレをつぶやいている。 ◆外国人タレントとしての役割を自己プロデュース その日本語能力は、彼がまだアメリカ・シカゴに住んでいたころに育まれた。 小学校時代、日本からワタル君という転校生がやって来て、『おそ松くん』や『巨人の星』といった漫画を見せてくれたことがきっかけで日本に興味を持つようになった。そして小学校とは別に、日本人学校にも通っていたという。  そんな中で深めていった、日本の文化や笑いへの造詣が役に立つ時が訪れる。1983年、アメリカのテレビ局「ABC」のプロデューサーとして番組の買い付けのために来日したとき、関係者の目にとまり、『笑っていいとも!』(フジテレビ)の1コーナーに出演した。 それは日本の風習やことわざの意味を外国人タレントたちに答えてもらう「クイズ なるほど・だ・ニッポン」というもので、日本のことを知らないからこそ繰り出される珍回答が人気を呼んだが、デーブだけは、すでに知っているかどうかは別にして、どう答えれば周りが面白がってくれるか、スタッフの期待に応えられるか考えることができた。ちなみに出演時、加山雄三にちなんで「デーブ・雄三・スペクター」と自ら名乗ってイジられている。 つまり彼の息の長さは、バラエティー番組の「外国人タレント」として求められる王道の役割を、素ではなく、完璧なまでにセルフプロデュースできていたことによる。  日本に移り住むようになり、タレントになったあとは、これまでの日本文化だけではなく、今起きていることにも目を向けるようになった。新聞はスポーツ紙を含めて毎朝20紙に目を通し、東京キー局6局の放送をリアルタイムでチェックするために自宅に6台のテレビを置いてチェック。時事問題を語れる外国人タレントの先駆けになった。 ◆本音をくだらないダジャレで隠している? さらに彼が重宝されるのは、前職で培った独自のネットワークによる、海外番組の買い付け販売だ。デーブは、世界から届く衝撃映像の提供を、国内でいち早くビジネスとして確立。社長を務める「スペクター・コミュニケーションズ」は国内のほか、映画やテレビ業界のオフィスが集中しているロサンゼルスのセンチュリーシティにも事務所を構え、グローバルに展開している。 そうした功績やスキルについて、あまり語らないのも彼の人柄だ。あるラジオにゲストで呼ばれたとき、北朝鮮情勢について饒舌に語る彼に対し司会者が「詳しいですね」と聞くと、「いや、さっき池上彰に聞いたから」と、自分をよく見せようとはしない。また、「肩書きは何?」と質問されると、「コメンテーター。いや、謝ってばかりいるから“ゴメンテーター”かな」と、こちらも笑いですり抜けていた。 冒頭で挙げたような政治のダジャレも、ともすれば「偏っている」と言われがちな批判を笑いで包んで見せていることも特徴的だ。 かつてファッション評論家のピーコは、彼のことを「本音をくだらないダジャレで隠している、恐ろしい存在」と評したという。  だが、それは彼が「ブラックジョーク」の国、アメリカで育ったことにも起因している。本音をそのまま相手にぶつけるのではなく、「直球」をオブラートにくるんで、やんわりと刺すことができるのだ。 声高に主張しすぎず、アメリカンジョークを土台とした、日本語を巧みに使ったダジャレ。前職を生かした独自のネットワークによる番組買い付け販売。メディアの間を、さらりと、そしてしたたかに泳ぐデーブ・スペクターの今後に期待したい。(芸能ライター・飯山みつる) 
2017.04.22 07:00
NEWSポストセブン
ピーコ 「片目になって人生の視野が広がった」
ピーコ 「片目になって人生の視野が広がった」
 医療の進歩により、がんになった後も以前と変わらぬ人生を送れる人が増えている。それならば、もっと明るく、あっけらかんとがんを語ったっていいではないか。「人生が好転した。がんになって本当に良かったと思っている」と言い切るのはピーコ氏(72)だ。 ピーコ氏の左目を皮膚がんの一種「マリグナント・メラノーマ(悪性黒色腫)」が襲ったのは1989年8月のことだった。目の中での発症は「30万人に1人」と言われるほど珍しいケースだった。「最初の異変は原稿用紙のマス目が見えなくなって原稿が書けなくなったこと。病院で診てもらったら悪性がんだった。目の直径って2.5cmしかないけど、私の腫瘍は1.4cmもあった。 医師から“眼球を全摘しないと視神経から脳に転移するかも”って言われたから、即断で“左目を取ってください”ってお願いしたの。後日、その医師から“あの時のあなたは男らしかった”と褒められたわ(笑い)。“汚いオカマの双子”でデビューしたから、メンタルが強いのよ!」 眼球を支える6か所の筋肉と脳に繋がる視神経を切断して左眼球を摘出。幸い転移はなかったものの、術後には抗がん剤治療による苦しみを味わった。「髪がゴッソリと抜けた時は死にたいと思ったわ。鏡を見たらオランウータンにしか見えなかったの。オカマでハゲでオランウータン……生きていくにはかなり厳しい状態。死のうと思ってベランダに行ったけど、2階だったから死ねないって思って引き返した」 左目を失ったことで、階段の段差や絨毯の継ぎ目に躓いたり、お酒をうまく注げなかったりと不自由な思いもした。銀座の街中でクシャミをした拍子に義眼が飛び出てしまったこともあったという。「目が飛び出るって驚くんじゃなくって、恥ずかしいのよ(笑い)。義眼って1つ作るのに30万円くらいかかる。おまけに最初のうちは年に20個くらい付け替える必要があるから大きな出費だった。そしたら永六輔さんや黒柳徹子さんたちが私に義眼をプレゼントする会を結成してくださったの。1口1万円で300人の方が寄付してくれたのよ。 その会の中に私が嫌っていた人の名前を見つけた時に、いかに自分が多くの人に支えられて生きてきたのかを思い知らされた。そこから他人に優しい性格になれたの。闘病は人を変えるのね」 片目を失ったことで「むしろ視野が広くなった」と誇らしげに語る。【プロフィール】ぴーこ/タレント、ファッション評論家。1945年神奈川県生まれ。1975年に双子のオカマコンビ「おすぎとピーコ」で芸能界デビュー。現在はシャンソン歌手としても活躍中。ちなみに兄である。撮影■北村崇※週刊ポスト2017年2月24日号
2017.02.18 07:00
週刊ポスト
安倍昭恵氏 SMAP解散に「好きな曲は選べない」
安倍昭恵氏 SMAP解散に「好きな曲は選べない」
 SMAPの解散とともに放送終了が決まった『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)。芸能人の間でもショックは広がっている。例えばピーコ(71才)。声をつまらせながらこんな胸中を明かす。「こうやって私がテレビに出ていられるのも『スマスマ』のおかげ。(番組内で)中居くんが『ヒーコ』(ピーコのパロディーコントキャラクター)をやってくれたでしょ。それをきっかけに番組に呼んでくれた。『スマスマ』はお化け番組で、若い人からお年寄りまで見ているから、どの年代のかたもヒーコで知ったピーコになった。(メンバー同士が)本当に和気あいあいと仲よくやっていた番組でした」 中居正広(44才)の名司会ぶりが発揮されているスマスマの名物コーナー「BISTRO SMAP」は、第1回のゲスト・大原麗子をはじめ、国内外、ニュースなゲストが相次いだ。例えば1999年、総理になる直前の小泉純一郎元首相(74才)が来店。「『夜空ノムコウ』がヒットしてる、なっ。でもあれよりもぼくは『君は君だよ』が好き」 そう話す父を、当時まだ大学2年生だった次男の進次郎衆議院議員(35才)は、スタジオの隅から見守っていたという。彼もまたSMAPのファンだったのだ。 この1月、SMAPの解散回避報道の後行われた国会で、「存続するのはよかった」とコメントした安倍晋三首相(61才)も2005年、自民党幹事長代理時代に来店している。好きな曲は『夜空ノムコウ』と『セロリ』。出演理由は、「家内がものすごいファンで、どうしても見学に行きたいっていう」から、と明かしていた。“家内”の昭恵夫人(54才)に、SMAPの解散について話を聞いた。「25年。1つのグループが長く続くというのは奇跡的なことで、第一線で活躍してというのは、本当にすごいこと。できればもう少し続けていただきたいけれど…それぞれの考え、判断なので、これからもみなさん活躍していってほしいです。『夜空ノムコウ』や『世界に一つだけの花』とか、本当にいい歌をたくさん歌ってこられた。好きな曲は…選べません」 12月31日の解散まで4か月をきった。それでもまだ『世界に一つだけの花』は売れ続けている。 2003年にリリースされ、草なぎ剛(42才)主演のドラマ『僕の生きる道』(フジテレビ系)の主題歌ともなったこの曲を書き下ろしたのは槇原敬之(47才)。1999年8月、覚せい剤所持の現行犯で逮捕された槇原は、かつてこんな思いを語っている。「ぼくが歌っていたら、こんなに売れなかったと思います。ぼくはいろいろあったし、偏見という目を感じるときだったと思うんですけど」 奇しくも、小泉氏が聖域なき構造改革を打ち出し、規制緩和で日本は厳しい競争社会となっていた。槇原自身もそんな社会の流れをひしひしと感じていたという。「周りで“○○の奧さんがエルメスを着ているから、私もエルメスを着なくちゃ”とか、No.1より、オンリーワンでない考え方が蔓延していて、痛々しく思っていたんですね。そういう人たちに育てられちゃうと、子供も絶対そうなるわけで。そういう子供が未来をつくっていくのなら、“そんな未来は嫌だ”と正直、思った」(槇原)※女性セブン2016年9月22日号
2016.09.10 07:00
女性セブン
SMAPファン 「スマスマ5人旅」DVD化へ迸る思いも
SMAPファン 「スマスマ5人旅」DVD化へ迸る思いも
 1月25日放送の通常『SMAP×SMAP』には、一週間前の生放送を思い出して素直に見づらいと思いつつ「コップのツヨ子」に笑わされた人も多いのではないだろうか。これまで同番組には人気を集めたシリーズや特別篇が多く「番組DVDが出れば買うのに」「オンデマンド配信してほしい」という声も少なくない。しかし基本的に再放送されず、ソフト化やオンデマンド放送もほとんどない。SMAPのコンテンツには似たような状況の作品が多い。「今回のツヨ子さんも面白かったけど、スマスマには木村くんがピンクの犬の着ぐるみを着たペットのPちゃんになったり、ピーコさんの真似した中居くんによるファッションチェックなど、数えきれないほどもう一度見たい人気コーナーがたくさんあります。でも今は、録画を保存しているファンに見せてもらう以外、方法がありません。SMAPには評判集めて人気あるのにソフト化されていないものが多いんです」(20代・会社員) 20年続く長寿番組『SMAP×SMAP』だが、番組内企画で制作された短編映画をのぞきソフト化されたことはない。しかし日本のテレビ局も2015年秋の米Neflix日本上陸をきっかけにオンデマンド放送に力を入れ始めている。状況は変わるのか。 かつてテレビ番組のネット放送といえば、ドラマやアニメが中心になると思われていたが、実際にはバラエティ番組人気が予想外に高い。Huluに資本参加している日本テレビでは、年末年始の加入キャンペーンで「笑ってはいけないシリーズ」の配信開始を宣伝文句にしていた。「コントやトークが中心のバラエティ番組をソフト化したって誰が買うんだと言われた時代が長かったのですが、2000年代半ばごろから状況が変わりました。『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』や『雨上がり決死隊のトーク番組 アメトーーク!』など、それまでの常識では売れないはずのDVDがヒットしました。ネット配信についても、ドラマと違って途中から見ても楽しめるバラエティ番組は人気です。残念ながら、SMAPの番組でそういう動きは進んでいません」(テレビ番組制作会社スタッフ) テレビ各局のオンデマンド放送のプログラムを確認すると、放送中のドラマの見逃し配信だけでなく、過去作も含めたバラエティ番組も多い。となれば20年続く『SMAP×SMAP』の名作コントも見たいところだが、今のところ正規の方法では不可能だ。「過去の番組全部を見せてほしいなんて贅沢なことはいいません。一部分だけでも、正規の方法で繰り返し見られるチャンスが欲しいだけです。いま一番お願いしたいのは、スマスマでは3年前の『SMAPはじめての5人旅スペシャル!!』のDVD化かネット配信」(30代・公務員) 3年前に『SMAP×SMAP』内で放送された「5人旅スペシャル」とは、SMAP結成25周年を記念してサプライズで番組からプレゼントされた1泊2日の関西旅行のこと。撮影はしているもがマネージャーなどスタッフは同行せず、メンバーみずからレンタカーを運転してすべての手配をしながら温泉に泊まった。5人の素顔が見られたと今でもファンの間では語り継がれている。残念ながら再放送もソフト化も、ネット配信もされていない。「SMAPにはDVDになっていないPVもたくさんあるから発売してほしいし、アルバム曲の『STAY』もシングル化してほしい。いろいろと難しいのかもしれないけれど、テレビ局やレコード会社にせっせとメール送ってます」(40代・団体職員) 累計販売枚数300万枚を目指す「『世界に一つだけの花』購買運動」はファン以外にも広まり、賛同者を増やしている。番組のソフト化やアルバム曲のシングル化など、他の運動にも波及していくのだろうか。
2016.01.31 07:00
NEWSポストセブン
かわいいペンギンがお出迎え 東京初「ペンギンのいるBAR」
かわいいペンギンがお出迎え 東京初「ペンギンのいるBAR」
 東京・池袋でペンギンといえばサンシャイン水族館……ではあるのだが、もう1か所ペンギンのかわいい姿に癒される場所がある。その名も『ペンギンのいるBAR』は、店内の水槽で暮らす4羽のペンギンたちを眺めながら食事やお酒を楽しめるという、ちょっと変わったバー。「ボクの名前はテッペイ。2年前、池袋店オープンのとき、沖縄店から転勤してきました!」 店内はガラスで仕切られ、ペンギンがいることを除けば、スタイリッシュなバー。オシャレなカクテルを傾けつつ、ふとペンギンスペースに目をやると…、テッペイ夫婦が子づくり真っ最中。「すみません、なんたって新婚なものですから(笑い)。でも、こういったボクらの日常を見ていただけるのが、当店最大の魅力だと自負しております!」 ペンギンは一夫一婦制で、一度つがいになると生涯添い遂げることから、夫婦愛のシンボルといわれている。カップルでの来店はもちろん、結婚式の二次会などに利用されることもあるという。「でも、いちばん多いのは女子会ですね。ボクらの姿を見て『うらやましいわ~』とおっしゃるかたも多いです」 ここにはもう1組、ペンタとピーコという夫婦もいて、現在夫婦交代で卵を温め中。2組のペンギン家族が仲よく遊ぶ姿が見られる日も、そう遠くないかも。【プロフィール】名前:テッペイ ♂年齢:4歳種類:ケープペンギン勤務先:ペンギンのいるBAR池袋店職種:接客業主な仕事内容:お店に来てくださるお客さまに、ちょっとした非日常を楽しんでいただく。お給料:豆アジ。お客さまの人数によって、餌やりタイムでもらえる量が変わる歩合制。好きなこと:毎晩オープンの1時間後くらいにある餌やりタイム!!嫌いなこと:カメラのフラッシュ。ガラスを叩かれること。現在の悩み:結婚したばかりの奥さんが、なかなか卵を産まないこと。将来の夢:子供たちと家族みんなで働きたい!撮影■山口規子※女性セブン2015年11月12日号
2015.11.03 16:00
女性セブン
カルーセル麻紀 石原慎太郎に「総理をやってもらいたいわ」
カルーセル麻紀 石原慎太郎に「総理をやってもらいたいわ」
 80才にして、東京都知事を辞任し国政への転身を発表した石原慎太郎氏。早くも「次期総理」との声も出ているが、その考え方には様々な意見もあるだろう。特に、教育についての考え方には、反発する人も少なくない。 石原氏は子を育てるうえで必要なものとして「父性」や「男らしさ」を強調し、体罰も積極的にすべきと説く。1969年に出版した『スパルタ教育』(光文社)には次のような一節がある。<我が家の個性、性格を決めるものは父親である、おやじである。おやじでなくてはならぬと、わたくしは信ずる> こうした価値観に猛反発するのは、作家の内田春菊さん(53才)だ。「私の父親が石原さんを大好きで、昔、『スパルタ教育』に書いてある通りの教育をやられてきたんです。1時間、無意味に正座させられたり、体罰も随分受けました。だから私は石原さんのような人がとても嫌いなんです。しかも今、私は母子家庭ですが、彼は母子家庭やゲイの人たちなど、マイノリティーな人たちを全く排除して物事を考える。母子家庭やゲイの人は皆、彼のことが嫌いだと思います。私のゲイの友達は『石原さん以外だったら誰でもいい』とまで言いますから」 そこまでゲイの人が石原氏を嫌うには理由がある。石原氏はかつて、おすぎ(67才)とピーコ(67才)に向かって「オレはオカマとナマコは嫌いだ」と言い放った。2010年には、青少年健全育成条例改正をめぐって、同性愛者がテレビ出演することを批判し、「(同性愛者は)どこか足りない感じがする。遺伝とかのせいでしょう。マイノリティーで気の毒ですよ」と発言。これにマツコ・デラックスが「あの発言は狂ってる!」と猛反発して話題になった。 カルーセル麻紀(69才)にも話を聞いたところ、「私は石原さんには若い頃から随分とかわいがってもらいました」と意外な返事が。「石原さんとはもう50年来のつきあいでね。まだあの人が政治家になる前でしたが、しょっちゅう飲みに連れて行ってもらったり、芸者さんのいるお座敷に連れて行ってもらって、派手にドンチャン騒ぎをしたものです。最後に会ったのは裕次郎さんの23回忌の時。久々に会ったのに、会うなり『お前、随分とばばあになったなぁ』と言うから、『私はどうせばばあよ』と言ったんですよ(笑い)。ぜひ一度、総理大臣をやってもらいたいわ」※女性セブン2012年11月15日号
2012.11.02 07:00
女性セブン
とくダネ! リストラ続出で「小倉さん作った王国壊す布石」
とくダネ! リストラ続出で「小倉さん作った王国壊す布石」
 これはもはやリニューアルというより「大粛清」だ。フジテレビの朝の情報番組『とくダネ!』が、10月改編を機に、コメンテーター陣を一斉にリストラしてしまったのである。 ピーコ、高木美保、しょこたんこと中川翔子、そして眞鍋かをり――。『とくダネ!』といえばあの人、とすぐ思い浮かぶ面々が一斉に番組から姿を消す。フジテレビ関係者がいう。「別にコメンテーターに辞めてもらうのを隠しているわけではないが、目立たないようにしているのは本当でしょうね。ピーコさんや高木さんは番組の中で、“今日で卒業です”と挨拶したが、眞鍋さんは突発的なニュースが入った日ということもあって、最後の挨拶すらできなかった」 残るコメンテーターはごくわずか。海外ゴシップに詳しく、なんだかんだいって華のあるデーブ・スペクターと、小倉智昭のお気に入りの天気予報士のアマタツ(天達武史氏)、番組がなくなっても同じ場所に居座っていそうな前田忠明氏はやはり残留という。「表面上はリニューアルということになっているが、代わりに目玉となるタレントや文化人が入るわけでもない。要はタレントのギャラを抑えて制作費を圧縮することが目的ですよ」(同前) ご存じの通り、かつて民放の雄といわれたフジテレビは不振にあえいでいる。 視聴率は日テレ、テレ朝のはるか後塵を拝し、コストカットに歯止めがかからない。『とくダネ!』も例外ではなく、最近では同じ時間帯のライバルである『スッキリ!』(日本テレビ系)に惨敗していた。 別の情報番組スタッフは、これは『とくダネ!』終了の序章だと断じる。「中野美奈子アナの後釜として菊川怜が鳴り物入りで加わったが、視聴率も上がらず、局内からは“自局のアナを使ったほうがよかったのでは”とブーイングを受けている。すでに社内では、小倉(智昭)さんを降ろすという話も出てきていますからね。今回のメンバー刷新は小倉さんが作ってきた『とくダネ!』王国を壊そうという布石だと思います」※週刊ポスト2012年10月12日号
2012.10.04 07:00
週刊ポスト
妻も娘も無視「なぁ、ピーちゃん」と小鳥だけに話しかける夫
妻も娘も無視「なぁ、ピーちゃん」と小鳥だけに話しかける夫
 世の中には、妻が「ああ、もううんざり!」というバカダンナが腐るほどいるらしい。今回、自慢にもならないバカダンナ話を披露してくれたのは、千葉県在住のNさん(43才)。親族が経営する運送店の専務だという夫(48才)のおバカっぷりとは? * * *「なぁ、ピーちゃん。社長の見舞いに行かなくちゃな」(夫)「ちょっと、それ、どういうことよ!」(妻)「今日、会社で社長が倒れて救急車で運ばれたんだよな、ピーちゃん」(夫) まったくふざけてますよ。こんな大事なことを妻の私にではなく、小鳥のピーコに話すなんて!「倒れたって、原因は何?」(妻)「高血圧とかいろいろ。よくわかんないんだよな、ピーちゃん」(夫) 夫は夕飯前に350mlの缶ビールを1本飲むんだけど、そのとき肩に乗せた小鳥のピーコがお相手。いつの間にかピーちゃんに語りかけることで、仕事の話から家庭の問題まで、いろんなことを伝えるようになってしまいました。 ピーちゃんがわが家にやってきたのは3年前。最初に夫の肩に止まったとかで、それからは寝てもさめてもピーちゃん。前は近所の人とのつきあいとか外で飲んでくることも多かったんだけど、ピーちゃんが来てからは一度も。 家族旅行は計画すらないし、どうしても出席しなくちゃならない親戚の法事だって終わったら、飛ぶようにして帰宅して「ピーちゃ〜ん」だもの。私や娘には、一度もかけたことがない甘い声で、最近では娘たちも「キモッ」ですって。 ペットバカの選手権があったら、うちのダンナ、かなりいい線いくと思います。ちっともうれしくないですけど。※女性セブン2011年6月23日号
2011.06.10 07:00
女性セブン

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