宣言が再再延長され、これまでと変わらないコロナ対策が続いても、最初の頃のような緊張感も危機感も、もはやないだろう。マスクをしてはいるものの、桜の開花宣言と春のポカポカ陽気につられ、散歩に出かけては大勢の人たちとすれ違うし、仕事で電車や地下鉄に乗れば乗客は確実に増加しており、どの街も人出は増えつつある。平日のランチ時間帯は店の前に行列ができ始め、昼下がりの喫茶店はおしゃべりを楽しむ人たちで満席だったりする。
宣言に対する「慣れ」の背景にあるのは、心理学でいうところの「馴化(じゅんか)」だろう。馴化とは、ある刺激が繰り返し与えられるとその刺激に対して興味や注意が失われ、反応が低下すること。弱い刺激や反応したところで何ら報酬がない刺激には、生じやすいとも言われる。
例えば学校の徒競走で、ピストルの「バン」というスタートの合図に最初は驚くが、何度も聞くと慣れて驚かなくなる。これと同じで刺激に鈍感になってくるのだ。小池都知事が「密です!」と発した当時は、それが刺激となってソーシャルディスタンスに気を付けていたが、今では“密”という言葉を聞いてもスルーする人が大半だろう。
馴化が生じ、緊急事態が“緊急”でなくなった感がある今、人々は周りの人たちの行動によって、自分たちなりの判断基準を作りつつある。人々の注意や関心を引くためには、早々に別の刺激に反応する「脱馴化」を生じさせることが必要だろう。
「解除の方向に向かっている」と菅首相は言うが、感染者は微増し、変異型ウイルスの急拡大のリスクも報じられている。リバウンドを避けるため、政府はコロナ対策をどう強化するのか。別の“刺激”により感染が下火になればと願うが、菅首相の暗い表情を見ていると、先行きの不安は拭えない。