日本のバブル世代にとって、F1は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を感じさせてくれる一大エンターテインメントでもあった。その熱狂の担い手となったのが、圧倒的な強さと人気を誇った「マクラーレン・ホンダ」だった。『週刊ポスト』(3月19日発売号)では、ついに「4度目のF1撤退」を決めたホンダの苦境と輝かしいF1史を振り返っているが、ホンダの4期にわたるF1参戦でも、とりわけ輝いていたのが「第2期(1983~1992年)」であり、なかでも1988~1992年にエンジン供給したマクラーレン・ホンダだった。
マクラーレンの栄華に先立つ1987年、ホンダはF1史に残る偉業を達成する。第7戦のイギリスGPで、ウィリアムズ・ホンダのナイジェル・マンセル、ネルソン・ピケがワン・ツーフィニッシュを決め、3位と4位にはロータス・ホンダのアイルトン・セナ、中嶋悟が入って、上位4つをホンダエンジンが独占したのである。それにしても、ドライバーの名前がまたすごい。日本人として初のシーズンフル参戦を果たした中嶋の活躍もさることながら、マンセル、ピケ、セナはいずれも20世紀のF1史に燦然と輝く大スターであり、ドライバーズチャンピオン経験者だ。
そして、翌年からマクラーレン・ホンダがF1を席捲する。シートには「プロフェッサー」アラン・プロストと「音速の貴公子」アイルトン・セナ。全16戦のうち実に15戦を制して(プロスト7勝、セナ8勝)、ぶっちぎりでコンストラクターズチャンピオンとなり、セナが初のドライバーズチャンピオンに輝いた。
その後の4シーズンも、マクラーレンは10勝、6勝、8勝、5勝をあげ、コンストラクターズランキングは1位、1位、1位、2位。ドライバーズチャンピオンは、1989年はプロストが、1990年と1991年はセナが獲得した(1992年シーズンは、年間9勝をあげたマンセルがドライバーズチャンピオン、マンセル擁するウィルアムズ・ルノーがコンストラクターズチャンピオンに輝いた)。
その間、1988年と1989年のドライバーはプロストとセナ、残りの3シーズンはセナとゲルハルト・ベルガーが務めた。それぞれホンダエンジンを駆ってプロスト11勝、セナ30勝、ベルガー3勝をあげている(プロストとセナの確執、プロストの移籍については週刊ポストの特集に詳しい)。オールド・ファンなら、当時のマクラーレンの強さ、プロスト、セナ、ベルガーの雄姿がよみがえってくるのではないだろうか。
1987年のホンダエンジン1・2・3・4フィニッシュはすでに紹介したが、マクラーレン黄金期に先立つ1986年と1987年のコンストラクターズチャンピオンはウィリアムズ・ホンダであり、マクラーレンでの4連覇を含め、ホンダエンジンはF1で6連覇を果たしていた。その連覇を止めたのがウィリアムズでありマンセルだったことも、「ホンダの時代」を象徴する出来事だったのかもしれない。