「僕は思ったことを思ったまま書いただけですけどね。当時、強盗殺人に関する水戸地検の判断は処分保留、釈放で、なのに僕と杉山は物証もないまま勾留され、相手が犯人だと思わされたことによる根拠なき楽観や、〈死刑もあるぞ〉と脅され続ける恐怖から罪を認めてしまった。ただ、昔の僕は人様のものをコソ泥したり、本当にくだらない人間でした。杉山もそうですよ。そんな自分が誰かを名指しで批判なんかできませんし、一人一人は悪くないとどこかで思ってるんでしょうね。
むしろ個人が正しいことをしたい、真実を言いたいと思っても組織の論理が許さない時に、物事を正す人を守るシステムや法律作りに興味があるし、それが今の自分の仕事だと思ってる。
例えば嘘をついて犯人を挙げた警察官に呵責の念がないとは思えないんですよ。自分の経験に照らしても。その一生消せない罪は当人が抱えていく他なく、それよりは警察なり検察が組織になった時の始末の悪さ、どうしようもなさが日本を根本から腐らしていることに、僕は怒っているんです」
無実の人を救わない方がおかしい
印象的なのが随所に差し挟まれる、詩や歌の数々だ。獄中でも日記を欠かさず、CDブックを出すほど詩作にも長けた彼は、その研ぎ澄まされた言葉たちもまた冤罪経験の賜物だという。
「塀の中で考えたおかげもあるけど、やはり『桜井さん・杉山さんを守る会』という、善意の組織と出会ったことが大きかったと思う。皆さんボランティアでね、僕らの苦境を心から気遣い、正しい判決を求めようとか、そんな人たちがいるなんて思いもしなかったもの……。
それこそ町の連中なんて、あの杉山と桜井が逮捕されて平和になったって喜んだんですから(笑い)。その時、学んだんです。そうか、間違ったことでも納得できればいいのが世間なんだ、世の中は残念ながら正しいことでは動いていないって。
ともかく、そんな自分を多少マシにしてくれたのが冤罪経験や人との出会いで、今はそこに癌まで加わった。僕は29年も刑務所にいたからか、歳の取り方がわからなくてね。同級生が家庭を持ち、孫までいる中、逮捕された頃の感覚を引きずる感じもあった。それが癌で追いついたんですよ。15kg痩せて皺々になって(笑い)。生や死についても今はより深く考えられ、癌になってよかったとすら思います」
一番の収穫は「大事なのは人であり命だという確固たる立ち位置」だと言い、本書でもいつ誰に対しても公正、正直であろうとするフェアな精神が印象的だ。
「それこそ杉山は嫌いで、恵子さん(妻)は大好きと、正直に書いたように彼とは水と油でね。なのに警察は勝手な共犯関係を捏造し、警察や司法がそこまでいい加減なルールで動くことに、僕は愕然としたんです」