明徳義塾の馬淵監督(右)。2018年、智弁和歌山・高嶋仁監督(当時)とともに撮影
森木の投球を初めて見たのは、2年前の夏の高知大会決勝だった。相手はやはり明徳。森木は1点のリードを許した3回からマウンドに上がるも、追加点を許して敗北。この試合でも森木は一発を放ち、一矢報いたものの、それ以降も甲子園を夢見る森木の前に常に立ちはだかり続けて来たのが明徳であり、馬淵監督だった。
「最後の夏に、決勝で対戦するなら、高知高校の先発は森木でしょう。もし頭(先発)でなかったら、うちは嬉しい。勝った方が甲子園というのに、他の投手が先発して、うちが3点ぐらい取ってから森木が出てきたとしても怖いことはない。もし先発を回避するようなら、よっぽど調子が悪いか、ケガしているか、もう一つは監督さんが……(笑)」
1992年夏の甲子園で、当時、石川・星稜の3年生だった松井秀喜に対する5打席連続敬遠策に代表されるように、勝利のためにあらゆる手を尽くす馬淵監督にとって、こうして報道陣を通じて、指揮官としての考えを打ち明け(本音かどうかは別として)、相手指揮官を“挑発”“口撃”するのも策略かもしれない。
四国大会決勝で、森木は6対1とリードした9回表、無死満塁の場面でマウンドに上がった。スカウトのスピードガンは、これまでの最速を更新する154キロを表示したという。試合を締めくくるだけでなく、打っては4打点をあげ、1盗塁も記録。左翼手として相手走者の二進を強肩で刺した場面もあり、走攻守に投を加えて森木は大車輪の活躍だった。全国の舞台を踏んでいない怪物は、最後の夏を前に飛躍的に進化を遂げている。高知高校の浜口佳久監督は「もちろん、登板させないことにこしたことはありませんでしたが、隠すつもりもなかった。選手たちは、夏に向けてまずここで対戦成績を五分にしようと口にしていました」と語った。
この1年間の両校の対戦成績は、2勝2敗1分けの五分。ただ、近年の実績や今春の選抜にも出場した明徳が高知高校の挑戦を受けて立つ立場となろう。
「まあ、このへんでそろそろ負けておかんと(笑)。森木攻略の自信なんてありません。とにかく食らいついていくだけ。追い込まれる前の甘い球を打たんとダメやね。追い込まれると、ストレートは速いわ、スライダーはあるわで。でも、三振はあまり取られない。今日だって、1イニングとはいえ1個だけやし、150キロぐらいの球でも普通にバットに当てておったからね」
夏に向けて手の内を隠した馬淵監督に対し、森木の先発は回避しつつ、ライバルに勝たんと手を尽くした浜口監督。154キロ右腕・森木のピッチングと共に、両指揮官の采配にも全国の注目が集まる夏となる。