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2021.06.29 11:00  週刊ポスト

2008年の阪神独走からV逸 五輪の影響はあったのか、岡田彰布氏が回顧

岡田彰布氏が2008年シーズンを振り返る(撮影/杉原照夫)

岡田彰布氏が2008年シーズンを振り返る(撮影/杉原照夫)

 ついに16年ぶりのVへ──気の早い虎党たちは大盛り上がりだが、本当にこのまま突っ走れるのか。しかし、16年前の2008年には13ゲーム差を大逆転される“悪夢”を体験している。「6月に貯金20」「主力が五輪出場」など、状況は今季と重なることも多いのだ。そこで、2008年シーズンの阪神監督だった岡田彰布氏に、あらためて当時のチーム状況を振り返ってもらった。

「あの年は北京五輪で主力3人(藤川球児、矢野燿大、新井貴浩)が抜けて、今年と違ってオリンピック中もシーズンが中断されずに続いた。守護神の藤川と正捕手の矢野が抜けたのは痛かったし、新井も新戦力やったからなぁ。もちろんシーズン前からわかっていたことやからいいわけにしたくないけど、五輪で計算が狂ったのは間違いない」(岡田氏・以下同)

 結果的に最も大きな誤算となったのは、3番を任されていた新井だった。腰痛を発症した状態で北京五輪に突入。五輪では4番ファーストでフル出場したが、五輪後は腰椎の疲労骨折で戦線離脱した。

 今夏の東京五輪代表には、阪神から先発の青柳晃洋、中継ぎの岩崎優、正捕手の梅野隆太郎という3人が選ばれている。

「2008年と違って、五輪期間中のシーズンが休みやからね。青柳や岩崎の使われ方はわからないけど、大舞台の経験がプラスになるんちゃうかな。

 とはいえ、オリンピックの影響は、その時次第でもある。2004年のアテネ五輪の時は良かったよ。オレは前年に優勝した星野さんから監督を引き継いで、7回以降を1人1イニングずつ任せる“必殺継投”を確立しようと考えていた。ちょうどアテネで中継ぎの安藤(優也)とオーストラリア代表に入った抑えの(ジェフ)ウィリアムスが抜けたので、久保田(智之)と藤川をリリーフで試せた。それがあって、次のシーズンは『JFK』の勝利の方程式が誕生し、リーグ優勝できた。アテネ五輪がなければ、優勝はなかったかもしれないわけや。

 ただ、北京五輪の時は新井の件もあったし、主力が抜けている間に出てくるべき若手が出てこなかった。五輪はどう転ぶかわからへん」

 2008年は7月22日に、57試合を残してマジック46が点灯したが、五輪代表が抜け、8月の死のロードは6勝8敗。そこから巨人の猛追を受けた。

「残り試合が多すぎて、意味のないマジックやったけどな。あの年は巨人の渡辺恒雄・球団会長が“3位でいい”と発言し、選手は気が楽になっていたのか、終盤に開き直ったような猛追が始まった。

 死のロード以降も、勝率はほぼ5割やったから、阪神も失速というほど悪くはなかった。とにかく巨人が9月に12連勝とか、もの凄い勢いで勝ち始めて、直接対決でも止められなかった。ほんまに終盤の勢いは怖いよ。巨人とはまだゲーム差があったけど、9月初めには危険信号が点灯していた」

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