世界で通用する肉体はどう違うか?(写真/AFLO)
振り返ってみれば大谷の野球人生は、決して華やかなだけではなかった。岩手・花巻東高校を卒業後、「即メジャー挑戦」を表明したが、2012年のドラフト会議で北海道日本ハムファイターズの強行指名によって「進路変更」を余儀なくされ、日ハムに入団。日本球界で初の二刀流として活躍するも、最後のシーズンとなった2017年には、左太腿の故障に悩まされた。
「メジャー入り後も1年目のオフに右ひじを手術し、2年目に左ひざを手術、3年目の2020年はコロナの影響でリハビリの途中で公式戦に入り、思うようなシーズンを過ごせませんでした。本人も『去年はまだマウンドに上がる状態ではなかった』と話していました」(佐々木享さん)
当初の意志と違う進路に度重なるけがや手術。これらを「失敗」ととらえず、決してめげないのが大谷のすごさだ。小児教育の第一人者で、石川教育研究所代表の石川幸夫さんも、「失敗」への向き合い方に感嘆の声を上げる。
「スポーツ選手にとってけがや手術は避けたいアクシデントですが、大谷選手はそれを『次へのステップ』ととらえている。彼にとって失敗や挫折は、先に進むために通るべき段階。失敗にポジティブに向き合うことは、成功するスポーツ選手に共通する特徴です。こうした心構えは、間違いなく、受けた教育の賜物でしょう」
※女性セブン2021年7月29日・8月5日号
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