57年ぶりとなった東京開催の五輪だが、前回1964年の東京五輪では、数々のスターが誕生した。記憶に刻まれたあのメダリストは今なにをしているのだろうか。(文中敬称略)
当時世界最強と言われたソ連のレスリング代表のアリ・アリエフに必殺のタックルを決めて、表彰台の真ん中に日の丸を揚げたのが、レスリング(フライ級)の吉田義勝。
東京五輪の翌年3月、吉田は在籍していた日本大学の卒業式に向かう途中に総武線の網棚に金メダルを置き忘れる失態を演じ、世間を騒がせた。吉田が振り返る。
「卒業式で表彰があるからメダルと着替えを紙袋に入れていたんです。ところが電車を降りる時に置き忘れたことに気づき、次の駅で確保してもらえるように連絡したら、既になくなっていました。それでも3日後にメダルが戻ってきたのは運が良かった」
卒業後は教師を志していたが、日本レスリング協会の八田一朗・会長(当時)の推薦で明治乳業(現・明治)に入社。その後、本社取締役や関連会社の明治乳業販売の社長にまで上り詰めた。
「八田会長の顔もあるから3年勤めたら辞めて教師になるつもりだったけど、営業をやっているうちに取引先との関係もできて仕事が楽しくなりました。家庭そっちのけで地方勤務を繰り返すうちに、部長職で東京本社に戻れました。レスリングで相手を観察して戦略を練ることが営業職で役立った(笑)。
1995年には、日本レスリング協会の理事に就任して、全日本選抜選手権大会の『明治杯』開催に尽くしました」
今は明治乳業を退社し、全日本マスターズレスリング連盟の会長を務めている。
※週刊ポスト2021年8月13日号