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増田惠子 阿久悠さんの命日は毎年お墓参りをして悩み事を打ち明ける

増田惠子が阿久悠さんとの思い出を語る

増田惠子が阿久悠さんとの思い出を語る

 1970年代後半、日本中を席巻したミー(現:未唯mie)とケイ(現:増田恵子)の2人組、ピンク・レディー。そのデビュー曲『ペッパー警部』に始まり、『UFO』『ウォンテッド(指名手配)』など、数々のヒット曲を作曲したのが、阿久悠さんだった。増田惠子が、阿久悠さんの思い出を振り返る。

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 高校1年からヤマハボーカルスクールにミーと通って「クッキー」を結成したのですが、なかなかデビューできなくて。それで3年の時に命がけで『スター誕生!』に出場し、人生が決まりました。「ピンク・レディー」の多くの曲が、審査員だった阿久悠先生と都倉俊一先生の作品です。

 デビュー曲『ペッパー警部』(1976年)は、レコーディングスタジオで初めて、阿久先生が原稿用紙に書かれた歌詞を見ました。表紙には、周囲を黒く塗って浮き上がって見えるように書かれたタイトルとペッパー警部のイラスト。それを見て、これがペッパー警部なんだってわかりました(笑い)。

 大人の方たちが一所懸命、売るための努力をしてくださり、寝る時間や食べる時間がなかろうと結果を出さないと、と必死でした。プレッシャーを食べている感じでした。この曲で日本レコード大賞の新人賞、翌年に大衆賞をいただきましたが、大賞は厳しいと思っていました。だから1978年に帝国劇場で『UFO』が大賞に選ばれた時は力が抜けちゃって。阿久先生が「ケイ、立ちなさい、獲ったぞ」と私を揺さぶってくださり、ようやく立ち上がれました。

『UFO』では、決め台詞を歌う時に、日頃の鬱憤を晴らしていました(笑い)。UFOを恋愛に結びつけるなんて凄い。『ウォンテッド(指名手配)』(1977年)もカッコいい。先生の詞の主人公は強い女性ばかりです。

「ピンク・レディー」は、永遠に私の原点です。周りの方々からいただいた人生だと感謝しています。だから毎年、阿久先生の命日にお墓参りをしています。悩み事ばかり言って帰ってくるんですけどね。今年も先生に会いに行きます。

【プロフィール】
増田惠子(ますだ・けいこ)/1957年生まれ、静岡県出身。「ピンク・レディー」のケイとして、1976~1981年に一世を風靡した。1981年に『すずめ』でソロデビューし、今年で40周年を迎えた。

取材・文/濱口英樹

※週刊ポスト2021年8月13日号

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