バブル時代ならではの空気感を語る石田純一と甘糟りり子さん
「ちゃんりり」って呼ばれてました
甘糟:タレントの平野ノラさんが大きな携帯電話を手に「しもしも~」って言う逆さ言葉のギャグはおもしろい風刺ですよね。あの頃、実際にそう言っていたような気がしてきちゃう(笑い)。「ギロッポン(=六本木)」「シータク(=タクシー)」くらいはよく聞きましたけれど。
石田:ギロッポン、あったねぇ~(笑い)。
甘糟:石田さんは使ってらっしゃいました?
石田:ぼくはそれほどでもないけど、レコード会社のディレクターなんかはよく使ってましたね。寿司を「シースー」、銀座を「ザギン」とかね。
甘糟:あ、思い出した。私、「ちゃんりり」って言われたことありますよ。最初、何を言ってるのかわからなくて。
石田:ちゃんりり!(笑い)そういえば、「ちゃんねぇ(=お姉ちゃん)」ってのもあったなぁ。
「スパゲッティ」が「パスタ」に進化
甘糟:1990年は、食文化でも新しい展開がありましたよね。雑誌『Hanako』がティラミスを取り上げて大流行した年です。イタリア料理が人気になって、多くの人気店が生まれました。スパゲッティをパスタと呼ぶのが普通になったのもこの頃からでしょうか。
石田:そうね、ぼくも「おいしいパスタを食べに行こうよ」っていうセリフで女の子を誘っていましたよ。
甘糟:あの頃は「アルデンテ」なんて言葉も新鮮でした。
石田:今や東京のパスタはさらにレベルアップして、「本場のローマよりうまい」なんていわれるぐらいになってますよね。当時の“イタめし”ブームがあったからこそイタリアンが日常になり、店の雰囲気も味も洗練されてきましたね。
甘糟:1990年12月の『POPEYE』のクリスマス特集の号が自宅の書庫にあるのですが、「気取ったフレンチよりカジュアルなイタリアンへ行け」と指南してありました。服装はタキシードではなくて、コーデュロイのジャケットにするべきともありました。1990年は、カジュアルダウンという概念が始まった年だと思ってます。ずっと上向きの派手志向だった世の中が、初めて肩の力が抜けているのがかっこいいと感じたんじゃないでしょうか。