青島が参院議員になった理由を紐解けば、政党の立場にとらわれず、議員一人ひとりが自由に議論できる“良識の府”だったからだ。
「参議院が衆議院と同じように政党化して、大政党の思うとおりになったんじゃ、存在の意義がない。(中略)それをタレントが大政党の公認をもらって、その議席をふやすために努力してる。なにを考えてるんだろうなあ」(「週刊朝日」1971年6月11日号)
“男メカケ”発言は、自民党が懲罰動議を出すほどの大騒動となったが、結局は見送られた。決議するためには、対象者に弁明の時間が無制限に与えられるからだと青島は推察した。戦時中に思春期を過ごした彼は、言論の自由を噛み締めた。
「おれが一国の総理をつかまえて、あんなことをいっても、へいきでこうやってメシ食っていられる。まァ、昔から考えるとありがたい」
青島は多様な情報や意見の重要性を切々と説いた。
「ニュースソースが一本化されてしまうほど恐ろしいことはないよ。情報がほかになければ、それにしたがうしかないんだもの。ナチス・ドイツとか戦時中の日本みたいになっちゃうよ」
その上で、最終的には一人ひとりの責任を問うた。
「さまざまな意見のなかから正しいことを把握していくという個人の認識が必要なんだよ」
構成・文/岡野誠
【※本特集では現在の常識では不適切な表現が引用文中にありますが、当時の世相を反映する資料として原典のまま引用します】
※週刊ポスト2021年8月27日・9月3日号