余談ではあるが、秀には内縁の夫がいた。任侠映画のプロデューサー・俊藤浩滋だ。俊藤には別に妻がいて、その娘が女優の富司純子である。70代に入ってから正式に俊藤と籍を入れるが、私生活は複雑だったようだ。
そして時代は移り変わり、次々と“二強”に割って入る店が出てくる。おそめ出身者の長塚マサ子もその1人だ。クラブ「眉」を立ち上げ多くの優秀なホステスを育てる。前出の素子ママをはじめ様々な独立者を輩出し、“銀座大学”と呼ばれた。老舗バー「ぎんざ小町」渡邊恵子ママが語る。
「新宿から銀座に移ってきた『ゴードン』や元東映女優の山口洋子さんが開いた『姫』、それに大阪からやってきた大型店「ラ・モール」などはそれまでのママ一人の魅力でお店を切り盛りするスタイルではなく、人気ホステスをどんどん引き抜き、『指名制』を導入して新たなスタイルを作った」
2人は平成を迎える前引退してしまう。しかし、“夜の蝶”の祖は紛れもなく2人にあった。
※週刊ポスト2021年9月17・24日号