俳優業から農業へ人生二毛作
人生100年時代といわれる今、老後を「余生」と呼ぶにはあまりにも長すぎる。そうではなく、「人生二毛作」と考えれば、老いへの心構えも変わってくる。ふと周りを見渡せば、すでに「二毛作」を実践する人たちがたくさんいた。
2014年に亡くなった俳優の菅原文太さんとは、晩年、病気の相談を受けるなどつきあいがあった。長靴のままやってきて、蓼科のカレーを食べに行くのにお供をしたこともある。東日本大震災の後、一緒に福島の支援に行ったことも思い出深い。
『仁義なき戦い』や『トラック野郎』などで一世を風靡した。しかし、映画界に陰りがさし、自身も60代に入ったころから農業への関心が高まっていく。岐阜県清見村への移住を経て、2009年には山梨県北杜市の耕作放棄地で農業を始めた。農業生産法人「竜土自然農園おひさまの里」を設立し、有機農業などに取り組みながら、命の大切さ、食の安全を訴えた。
いったん終わらせることで生き直す
僧侶・高橋卓志さん(72)は、「仏教界の革命児」といわれ、ユニークかつ事の本質をつくようなNPO活動を行ってきた。松本市の神宮寺の住職を30年以上務めてきたが、2018年に事実上、住職の引退をした。
後継者である若い住職にバトンタッチすると、タイに渡り、さまざまな国籍の若い人たちに交じって、チェンマイの大学でタイ語を学んでいる。
この転機について、高橋さんはオフィシャルサイトで、こんなふうに書いている。
「もうタテマエを気にする必要はない、自分を保全するためにウソをついたり、人の顔色をうかがったりする必要もない。自由に、正直に生きよう」「いままでのぼくに決着をつけ、生き直しのために『再誕の産湯』につかったら、どんな地平が広がるのだろう。それを見てみたい、そう思った」
彼はぼくと同い年だが、この文章からは清々しい若さが感じられる。とても勇気づけられた。
気負いのない自由な発想が「老い」を面白くする
ぼくは、佐賀で「がんばらない健康長寿実践塾」を開き、中高年の塾生に健康指導をしている。やってみようと思ったのは、ミズホールディングス会長の溝上泰弘さん(76)の人柄に魅かれたからだった。
この人は面白い。薬剤師の家系で、祖父は製薬業、父は薬品卸業を営んでいた。泰弘さんは東京の医療機器の輸入商社で営業をしていたが、父親が末期がんとなり、家業を継ぐため帰郷した。
いざ帰ってみると、会社の幹部から「泰弘君、昔からこの仕事やりたくないって言ってたよね。やりたくないならやらなくていいよ」と言われてしまう。帰ってきたのに、後を継がないことになった。
母親が小さな薬局をやっていた。その薬局を処方箋薬局として佐賀県中に広げていく。溝上薬局は現在ミズグループとして社員555人、年商117億円に成長。県内外に75店舗にまで発展した。経営の才覚があったということだ。