「宿命のライバル対決」を、江夏本人が振り返る
昭和という時代に感謝
ライバルっていうのは理屈じゃないんだよね。人間の能力以上に何かが動く。一番難しいのは、人間が勝負する中で相性というのがある。この相性がなぜ生まれるかは、IT時代においても明確化されていない。なぜかというと、感情の問題だから。感情まで人間の数値は出てこないからね。おれはこういう勝負ができるんだ、こいつは苦手だなというものが働く要素として一番大きいのが相性なんだ。
ライバルにおいても相性が出てくる。相性は、1回2回の対決じゃ生まれない。数多く対決した中で、何かが浮かび上がってくる。それが感情であり、好き嫌いや得手不得手な部分によって左右されてくる。だから勝負ごとは難しく、また面白い。
今の球界を見ていて、かつての火花を散らすライバル関係があまり見当たらない。ライバルといえば一つは目標なんだから、目標にする人を自分の中で明確化するべき。この人は2割8分しか打ってないけど、なんか惹かれるものがある。自分にはない光っている部分がある。自分もああいうバッターになりたいという人を見つける。そういうのを見抜く力も技術のうちだから。
もし王さんというライバルがいなかったら寂しかっただろうね。生きていく上で、ライバルがいるかいないかは大きな違いがあると思う。
自分がここまでになれたのは、いろんな諸先輩の手助けもあったと思う。昭和という時代が作ってくれた王さんというライバルにもミスターにも感謝してるし、いい同僚にも恵まれた。いい時代だったよね。
聞き手・構成/松永多佳倫(まつなが・たかりん)/ノンフィクションライター。1968年、岐阜県生まれ。琉球大学卒業後、出版社勤務を経て執筆活動開始。著書に『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』(KADOKAWA刊)など。
※週刊ポスト2021年12月3日号