王貞治一覧

【王貞治】に関するニュースを集めたページです。

昨年は村上と本塁打王を分け合った岡本和真(時事通信フォト)
2年連続本塁打王、打点王の2冠でも 巨人・岡本和真の「評価がイマイチ」の理由
 首位・ヤクルトに大きく突き放されている巨人。その中で不動の4番・岡本和真のはたらきはどうだろうか。今季は好不調の波が激しいが、75試合出場で20本塁打、59打点をマーク。自身初の40本塁打も十分に狙える成績だが、6月に月間14本塁打をマークするなど「令和初の三冠王」を狙えるヤクルトの4番・村上宗隆に比べるとどうしても影が薄くなってしまう。スポーツ紙の遊軍記者は「岡本と村上のプレースタイルの違いも影響している」と指摘する。「村上は闘志むき出しでベンチでも常に声を出している。主将は山田哲人ですが、周囲を鼓舞する姿勢を含めて村上がチームリーダーになりつつある。一方で、岡本は穏やかな性格でマイペース。ナインを引っ張るタイプではない。ガツガツした感じがしないので、チームが低空飛行の時は物足りなく感じてしまう。岡本の状態は決して悪くないのですが、今年は村上に本塁打、打点で差をつけられて、巨人もヤクルトの首位独走を許している。4番打者に対する風当たりが強くなるのは宿命ですね」 長嶋茂雄(現巨人終身名誉監督)、王貞治(現ソフトバンク球団会長)、原辰徳(現巨人監督)、松井秀喜(現ヤンキースGM特別アドバイザー)と「巨人の4番打者」の華やかな系譜を引き継ぐのが岡本だ。高卒4年目の2018年に打率.309、33本塁打、100打点をマーク。史上最年少で「3割・30本塁打・100打点」を達成すると、2020、2021年と本塁打と打点の二冠王を2年連続で達成。王貞治以来球団史上2人目の快挙だった。広角に本塁打を飛ばせるパワーと打撃技術は球界屈指。5月29日の日本ハム戦で通算150本塁打に到達した。634試合出場での達成は巨人の日本人選手で最速記録だ。 25歳の若さでこれだけの実績を打ち立てているにもかかわらず、昨年の東京五輪では侍ジャパンのメンバーから落選。今年のオールスターのファン投票(6月28日付)でもセリーグ三塁部門で、トップの村上の33万8433票に大きく差を開けられた2位で18万6638票。一方で打撃不振の中田翔が一塁手部門のトップで、24万3544票を集めている。巨人担当の番記者は「同じポジションに村上がいるので票が入らないかもしれないが、まさか中田より票数が少ないとは……。打撃だけではなく守備もうまいし良い選手なのですが、華がないんですかね」と首をかしげる。 そんな岡本だが、試合中の「ある振る舞い」に批判の声が集まった。6月29日の中日戦で6回の打席でスイングした際に、手からすっぽ抜けたバットが三塁側の中日ベンチに飛び込んだ。幸い誰にも当たらずケガ人も出なかったが、岡本が中日ベンチに見向きもせずウェイティングサークルに戻り、ボールボーイにバットを拾わせたことにネット上で〈謝るぐらいしないと。子供たちも見ているんだから〉〈巨人の4番としてふさわしい態度ではない。自分でバットを拾うぐらいしてほしい〉と批判の声が上がった。「岡本が試合中の態度で批判されるのは珍しい。あまり気にする性格ではないですけどね。彼は朴訥とした性格で活躍しても変わらない。後輩も接しやすいので高卒2年目の中山礼都がなついていました。ちょっと誤解されている部分がありますが、少しずつベンチでも声を出すようになり坂本勇人の後継者として巨人を引っ張ろうとする使命感は伝わってきます。噛めば噛むほど味わいのあるスルメのような人間です。『岡本ワールド』が世間に浸透する日はもう少し先になるのではないでしょうか」(在京キー局の放送関係者) 球界を代表する和製大砲はライバルを乗り越えられるか。
2022.07.01 16:00
NEWSポストセブン
V9の真実 ONの意識変革を呼び込んだ金田正一氏の「食事」と「散歩」
V9の真実 ONの意識変革を呼び込んだ金田正一氏の「食事」と「散歩」
 1965年から1973年にかけての巨人の9年連続日本一 ──野手は王貞治、長嶋茂雄の「ON」を中心に柴田勲、黒江透修らが脇を固め、投手陣には400勝投手の金田正一や城之内邦雄、堀内恒夫らタレントが揃っていた。そんな「不滅の記録」を打ち立てた常勝軍団を束ねたのが、名将・川上哲治だ。(文中敬称略)【全4回の第1回】 * * * 川上哲治が、水原茂から巨人の監督を引き継いだのは1961年だった。すでにON(王貞治、長嶋茂雄)を擁すなど、充実した戦力があったが、1961~1964年は1位→4位→1位→3位とシーズンごとに浮き沈みがあった。 不滅の記録である「9年連続日本一」が始まる1965年シーズンに先立ち、川上は“大補強”に出る。目玉はB級10年選手制度(※現在のFA制度の前身とも言える制度で、10シーズン以上現役選手として球団に在籍した選手に、移籍権利などが認められた)を行使した国鉄の大エース・金田正一の獲得だった。対巨人戦で通算65勝(歴代1位)の金田の獲得は、川上の肝煎りだったという。2019年に他界した金田は生前、『週刊ポスト』の取材にこう明かしている。「ワシが巨人へ移籍したかった以上に、川上さんがワシを欲しがった。川上さんは、ワシがライバル球団の中日に移籍することを恐れていた。直前のシーズン、国鉄で27勝を挙げていたワシが中日に行くか、巨人に来るのかでは大違いじゃ。9連覇の始まりは金田なくしてなかった。ワシが言うんだから間違いはない」 巨人に移籍後、金田は通算400勝の金字塔を打ち立てるが、その加入は単に“星勘定”のプラスをもたらしただけではなかった。チームの意識改革が進んだのだ。金田はこう振り返っている。「巨人に移籍して一番驚いたのは食事だった。宮崎キャンプで、宿舎の『江南荘』で出された料理を見て呆れたね。冷めたトンカツが食卓に並んでいるのよ。すぐに川上さんに“私は自由にさせてもらう”と伝えたら、一発でOKとなった。川上さんも意識改革したかったんじゃないかな。 ワシは部屋でメシを炊き、鍋をして、温かい食事を食べた。いわゆる『金田鍋』じゃ。すぐに末次(利光)、土井(正三)といった選手が集まってきて、もちろん王や長嶋も来た。ワシは“食べないヤツは負ける”“健康でないと野球はできない”という信念を持っていたからね。キャンプでは、早起きして散歩で体を動かす習慣も導入させた」 川上の金田獲得によってチームの意識が大きく変わった。そのことはONも口を揃えて認める。 長嶋は「チームの雰囲気を作る大きなきっかけは、やはりカネさんの加入でしたね。ワンちゃん(王)とボクに練習はこうやるんだと教えてくれて、ONで率先してカネさんの真似を始めた。それを他の選手も真似して、相乗効果が生まれました」(『週刊ポスト』2015年1月16・23日号)と語り、王は「カネさんから学んだのは自分への投資でした。“野球選手は体が資本”というのがカネさんの哲学。有名な『金田鍋』もよくご相伴にあずかりました」(2014年9月19・26日号)と述懐している。 意識の変革はチーム全体へと波及し、V9の礎が築かれたのだ。(第2回へ続く)※週刊ポスト2022年4月22日号
2022.04.14 07:00
週刊ポスト
矢野燿大監督(中央左)は最終年で有終の美を飾れるか(時事通信フォト)
阪神17年ぶりVに黄信号データ?「僅差でV逸の翌年」に低迷する背景
 昨年、前半戦に首位を独走しながら、ヤクルトに逆転優勝を許してしまった阪神タイガース。2リーグ制に移行して以来、阪神が2ゲーム差以内で優勝を逃したケースは8年ある(全て2位)。■阪神が2ゲーム差以内で優勝を逃した年の成績1957年(藤村富美男監督)130試合73勝54敗3分 勝率.573 ゲーム差1.01970年(村山実監督)130試合77勝49敗4分 勝率.611 ゲーム差2.01973年(金田正泰監督)130試合64勝59敗7分 勝率.520 ゲーム差0.51976年(吉田義男監督)130試合72勝45敗13分 勝率.615 ゲーム差2.01992年(中村勝広監督)132試合67勝63敗2分 勝率.515 ゲーム差2.02008年(岡田彰布監督)144試合82勝59敗3分 勝率.582 ゲーム差2.02010年(真弓明信監督)144試合78勝63敗3分 勝率.553 ゲーム差1.02021年(矢野燿大監督)143試合77勝56敗10分 勝率.579 ゲーム差0.0 悔しさをバネに翌年優勝を勝ち取ったのかと思いきや、昨年を除いた7年のうち6年がBクラスに転落している。■阪神、上記の翌年の成績1958年(田中義雄監督)2位 130試合72勝58敗0分 勝率.554 ゲーム差5.51971年(村山実監督)5位 130試合57勝64敗9分 勝率.471 ゲーム差12.51974年(金田正泰監督)4位 130試合57勝64敗9分 勝率.471 ゲーム差14.01977年(吉田義男監督)4位 130試合55勝63敗12分 勝率.466 ゲーム差21.01993年(中村勝広監督)4位 132試合63勝67敗2 分 勝率.485 ゲーム差17.02009年(真弓明信監督)4位 144試合67勝73敗4分 勝率.479 ゲーム差24.52011年(真弓明信監督)4位 144試合68勝70敗6分 勝率.493 ゲーム差9.0 このうち金田、吉田、真弓の3監督がオフに退任。あと一歩で優勝まで近付いた翌年は優勝争いにすら絡めない年ばかりなのだ。一方、ライバルの巨人は2リーグ制以降、2ゲーム差以内で優勝を逃したケースは6年ある(2010年は3位。それ以外は2位)。■巨人が2ゲーム差以内で優勝を逃した年の成績1974年(川上哲治監督)130試合71勝50敗9分 勝率.587 ゲーム差0.01982年(藤田元司監督)130試合66勝50敗14分 勝率.569 ゲーム差0.51986年(王貞治監督)130試合75勝48敗7分 勝率.610 ゲーム差0.01992年(藤田元司監督)130試合67勝63敗0分 勝率.515 ゲーム差2.02010年(原辰徳監督)144試合79勝64敗1分 勝率.552 ゲーム差1.02015年(原辰徳監督)143試合75勝67敗1分 勝率.528 ゲーム差1.5 その翌年の成績はこのようになる。■巨人、上記の翌年の成績1975年(長嶋茂雄監督)6位 130試合47勝76敗7分 勝率.382 ゲーム差27.01983年(藤田元司監督)優勝 130試合72勝50敗8分 勝率.590 ──1987年(王貞治監督)優勝 130試合76勝43敗11分 勝率.639 ──1993年(長嶋茂雄監督)3位 131試合64勝66敗1分 勝率.492 ゲーム差16.02011年(原辰徳監督)3位144試合71勝62敗11分 勝率.534 ゲーム差3.52016年(高橋由伸監督)2位 143試合71勝69敗3分 勝率.507 ゲーム差17.5昨季同様、若い戦力が活躍できるか 阪神は競り負けた翌年にほとんどBクラスに転落しているが、巨人は1年を除いてAクラスを保ち、2年は優勝している。一体、この差は何か。プロ野球担当記者が話す。「巨人は優勝を至上命題とされ、ペナントを制しなければ叩かれる。しかし、阪神の場合、優勝回数も少なく、2位で終わると『健闘した』と称えられがち。例えば、1992年は大方の評論家が最下位予想する中で、亀山努や新庄剛志の台頭、仲田幸司や湯舟敏郎など若手投手陣の開花で大躍進をした。 阪神は負けが込めば叩かれるが、少しでも活躍すればすぐにヒーロー扱いされる。マスコミやファンの扱いが他球団と違って特異です。そうした面も影響しているのではないでしょうか。1986年の巨人は勝利数で上回りながらも広島に勝率で劣って2位だった。すると、3年連続V逸の責任を感じた王監督が進退伺を提出しています。それほど優勝に対する思いが球団もファンも異なる印象です」(以下同) 阪神は1987年から2002年までの16年で、Bクラスが15年もあった。唯一、1992年だけは光明が差した。活躍した選手が若く、暗黒期を脱するかと思われたが、翌年から再びBクラスに転落した。「打線強化のため、24歳の本格派右腕・野田浩司を放出して、オリックスから32歳で実績のあるスイッチヒッターの松永浩美を獲得したトレードが失敗と言われています。松永が故障で3度も戦列を離れ、期待外れだったのもあるでしょうけど、前年14勝の仲田幸司が3勝に終わり、期待された嶋尾康史が故障するなど野田の穴を埋めきれなかったことも大きかった。オフに松永がFA(フリーエージェント)でダイエーに去ったことで、失敗トレードのイメージが増幅したのもあるでしょうね」 昨年の阪神の躍進はルーキーの伊藤将司、中野拓夢、佐藤輝明による若い力も大きかった。その点では、1992年と似ている面もある。今年は矢野燿大監督がキャンプイン前日に今季限りの退任を発表。ラストイヤーを優勝で飾りたいところだろう。「2年目になる3人が昨年と同じような成績を残せれば大崩れはしないでしょう。逆に言えば、若手にかかる比重が大きい分、伸び悩んだ時にはチームも低迷する。最近は“2年目のジンクス”もなくなりつつありますし、矢野監督の采配次第では17年ぶりのVも十分目指せると思います」 矢野監督の胴上げで有終の美を飾れるか。
2022.03.10 07:00
NEWSポストセブン
羽生結弦の発言は時代の変化の象徴か(北京五輪エキシビションでの演技。時事通信フォト)
羽生結弦「努力って報われない」 王、長嶋、イチローらの「努力」発言との違い
「努力って報われないなあって思いました」。北京五輪のフィギュアスケート男子シングルで、史上初の3大会金メダルを目指した羽生結弦は惜しくも4位に終わった。その試合後に述べた言葉である。 2月10日、フリーの演技終了後のインタビューで羽生は「いや、もう一生懸命、頑張りました。正直、これ以上ないくらい頑張ったと思います。報われない努力だったかもしれないですけど。でも一生懸命、頑張りました」と話した。 その後、テレビ朝日の五輪キャスターを務める松岡修造氏と対面。4回転半ジャンプについて、インタビューアーの松岡氏が「ありがとうって言いたいんですよ。お礼したい。だって、誰もトライしたことがないものにトライし続けましたよ」と感謝を述べた。すると、羽生は「ちょっと待って……ダメだ」と背を向け、「テレビの前で泣くの嫌なんだけどな。修造さんと長いからな……。悔しい」と呟いて涙を拭った。 羽生が前に向き直し、松岡氏に「苦しさの中にこのオリンピックで何を見たんですか?」と聞かれると、「そうですねえ……努力って報われないなあって思いました。僕はオリンピックで金メダルを取るために、そして4回転半を決めきるための努力を、正しい努力をしてこれたと思ってます」と答えた。スポーツライターが話す。「何を言っても、羽生選手は話題になる。それだけ注目されるのは本当に凄いこと。一挙手一投足が取り上げられるのはスターの証です。実際、前人未到の4回転半への挑戦は素晴らしかった。ただ一方で、世界を代表する選手の口から『努力って報われない』という発言を聞き、時代の変化を感じた人もいたと思います」(以下同) 羽生は今大会でメダルを逃したが、テレビやスポーツ紙などでもその挑戦を称える論調が目立った。「羽生選手はアイドル的人気がある。熱狂的なファンの中には自分の意に沿わない論調を見たり聞いたりすれば、猛抗議する人もいる。それは愛ゆえの行動だとは思います。しかし、誹謗中傷は別として、個人の意見やまっとうな論評にも過剰な反発が来るのであれば、ファン以外の人はその世界に関わらない方がいいと思ってしまう。それはフィギュア界にとっても、ファンの裾野を広げるうえでマイナスとなるのではないでしょうか」 競技が違うとはいえ、“ミスタープロ野球”の異名を取って絶大な人気を誇った長嶋茂雄や“世界のホームラン王”と呼ばれた通算868本塁打を放った王貞治でさえ、選手時代に絶不調に陥ったり、監督時代に勝てなかったりすると、マスコミに叩かれ、球場ではファンから強烈なヤジを浴びていた。「スポーツ選手は悔しさを肥やしに戦うと言われます。ファンが全てを肯定する世界を作り上げて、良い意見しか耳に入らない状態になってしまうのはマイナスだと思います。長嶋さんや王さんのような昭和の大物だけでなく、イチローさんや松井秀喜さんも公のインタビューで自らケガについて話すことはほとんどなく、打てない時に言い訳などしなかった。そして結果が出なくても、泰然自若と振る舞い、次への活力にしていました」 かつて、長嶋茂雄は「努力してますと練習を売りものにする選手はプロフェッショナルとは言えない」と努力を他人に悟られることを嫌った。王貞治は「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない」と自分を律する名言を残している。 王を尊敬したイチローはヤンキース時代、“不惑”の40歳を迎える2013年に「努力をすれば報われると本人が思っているとしたら残念だ。それは自分以外の第三者が思うこと。もっと言うなら本人が努力だと認識しているような努力ではなく、第三者が見ていると努力に見えるが本人にとっては全くそうでない、という状態になくてはならないのではないか」と述べていた。 そして今、世界のトップレベルにある羽生から『努力って報われない』という発言が出るようになったのは、時代の変化の象徴かもしれない。
2022.02.22 16:00
NEWSポストセブン
坂本・村上・紅林に続くか?巨人・秋広優人「高卒2年目ブレイク」の条件
坂本・村上・紅林に続くか?巨人・秋広優人「高卒2年目ブレイク」の条件
 昨年、ドラフト5位の高卒新人ながらオープン戦にも先発出場した巨人・秋広優人。球団では王貞治以来となる高卒ルーキーの開幕スタメンを期待されたが、オープン戦ではプロのスピードについていけず、開幕一軍にも残れなかった。シーズン当初は二軍でも苦労していたが、終盤になると徐々に慣れていき、9月29日には一軍で初打席にも立った。 今年は宮崎キャンプから一軍に帯同し、初の対外試合となったビッグボスこと新庄剛志監督率いる日本ハム戦では『3番・センター』に抜擢された。身長2メートルで長打力が魅力の秋広は、高卒2年目でブレイクできるのか。プロ野球担当記者が話す。「過去には巨人・王貞治や広島・前田智徳、巨人・松井秀喜、西武・森友哉などの大打者が2年目にフル出場かそれに近い試合数に出て、チームの主軸へと成長していきました。ただ、彼らは1年目もそれなりの試合数に出ている。数試合しか出場していない選手が高卒2年目にブレイクした例では、昨年のオリックス・紅林弘太郎、3年前のヤクルト・村上宗隆、巨人では2008年の坂本勇人らがいます」 高卒2年目の野手が開幕からスタメンを勝ち取るにはオープン戦でのアピールが必須になる。昨年の紅林は16試合で打率1割7分6厘、1本塁打、5打点だったが、終盤にホームランやマルチ安打を放つなど中嶋聡監督を起用に踏み切らせる活躍をした。 2019年の村上は2割4分5厘、4本、12打点と持ち前の長打力でアピール。日本ハムとの最終戦で2点ビハインドの8回裏に逆転3ランを放つなど、ホームラン数は12球団で3位タイだった。 2008年の坂本勇人は初戦の対ソフトバンクでマルチ安打を記録。その後、22打数2安打と打てなくなったが、3月11日の阪神戦で4打数4安打と爆発し、翌戦もマルチ安打、翌々戦では初ホームランと打ち始め、原辰徳監督の評価も上がっていった。最終的には2割4分0厘、1本、3打点。アスレチックスとのオープン戦でも猛打賞を記録し、脇谷亮太との争いに勝った。3人はいずれも開幕スタメンに選ばれ、1年間レギュラーの座を守った。「秋広の場合、対外試合を含めた実戦の序盤からアピールしていかないと、オープン戦途中での二軍落ちもあり得る。巨人は層が厚いですし、原監督は若手、ベテラン問わずに実力至上主義を掲げていますからね」 秋広は本職のファーストでは中田翔や中島宏之、ウィーラー、今キャンプから挑戦しているセンターにはチームの主軸である丸佳浩というライバルがいる。「紅林や村上は一発の打てる大型野手という魅力があり、その点では秋広も同じです。鍵になるのは守備力でしょう。紅林は前半戦はエラーも目立ちましたが、持ち前の強肩と守備範囲の広さがあった。坂本は及第点を残していた。村上はサードの守備はまだまだでしたが、ファーストではなんとか乗り切れた。 もうひとつ、“運”を引き寄せられるかもポイントです。紅林は2年連続最下位のチームで、若手を抜擢しやすい状況でした。坂本は開幕戦セカンドでのスタメンでしたが、二岡智宏の故障で2戦目から本職のショートに回り、その後二岡が復帰してもその座を明け渡さなかった。不慣れなセカンドだったら、1年定着できたかはわかりません。村上の場合は、畠山和洋の成績に陰りが見えてきて、一塁のポジションが空いていた」 今季から松井秀喜の背負った55番を身に着ける秋広。球団やファンの期待に応えられるか。
2022.02.16 07:00
NEWSポストセブン
3冠王の期待もかかる村上宗隆(時事通信フォト)
岡本和真・村上宗隆のキャリアハイはいつ来る?歴代HR打者と比較
 この2年、セ・リーグでは激しい本塁打王争いが繰り広げられた。一昨年は巨人・岡本和真が31本とヤクルト・村上宗隆を3本差で振り切って初の栄冠を手にし、昨年は2人が39本でタイトルを分け合った。今年2人は40本を飛び越えて45本、さらには50本という大台も期待されている。昨年、岡本と村上はともに9月下旬に38号を放ったが、残り1か月で1本しか打てず、40の大台には達しなかった。プロ野球担当記者が話す。「当時と今では試合数が違うとはいえ、高卒新人最多の31本を打った清原和博(西武)、12年連続20本以上を放った原辰徳(巨人)も40という数字には届かずに現役生活を終えた。それくらいハードルが高いですし、日本人選手の50本以上は今まで5人しか記録していない。それでも、2人の順調な成長ぶりを見れば、ファンは胸が躍るでしょう」(以下同) 過去にシーズン45本以上の本塁打を放った日本人選手は14人いる。その中で、一軍で150打席以上立った年を1年目と計算した場合、何年目にキャリアハイを記録しているのか調べてみた。(以下、選手名(年)本塁打数、年数、所属球団の順)田淵幸一(1974年)45本 6年目 阪神村田修一(2008年)46本 6年目 横浜藤村富美男(1949年)46本 5年目(※)阪神西沢道夫(1950年)46本 4年目 中日松中信彦(2005年)46本 7年目 ソフトバンク中村紀洋(2001年)46本 8年目 近鉄山川穂高(2018年)47本 3年目 西武中村剛也(2009年、2011年)48本 5、7年目 西武掛布雅之(1979年)48本 6年目 阪神松井秀喜(2002年)50本 10年目 巨人小鶴誠(1950年)51本 7年目 松竹落合博満(1985年)52本 6年目 ロッテ野村克也(1963年)52本 8年目 南海王貞治(1964年)55本 6年目 巨人【※藤村はプロリーグ1年目の1936年から参加し、150打席以上立ったシーズンもあるが、1939年から1942年までは兵役のために試合に出場できなかったため、1944年から計算(太平洋戦争のため1945年は公式戦なし)】 実質3年目の山川、10年目の松井もいるが、6~7年目が最も多くなっている。実質4年目の村上、実質5年目の岡本はまだまだ伸びる可能性があるだろう。「1シーズンの過ごし方に慣れ、心技体が最も充実してくるのが6~7年目辺りなのかもしれません。昨年の岡本や村上のように若過ぎると、プレッシャーを感じてしまい、重圧を自分でコントロールできないこともある。しかし、中堅クラスになった時にその経験を活かせるし、6~7年目はまだ自分の伸び代を信じてがむしゃらに進める年齢です。 逆に、ベテランになると、過去の経験から自分がどれぐらい打てるか予測が立ってしまう場合もあり、安定した成績が残せる反面、キャリアハイまでは狙いにくくなる。だから、実績があって風格も出てきながらも、成長力を感じられる6~7年目に最高の本数を打つ選手が多いのかもしれません」 もっとも10年目以降にキャリアハイを記録したホームラン打者もいる。通算3位の567本塁打を放った門田博光(南海→オリックス→ダイエー)はアキレス腱断裂を挟んで、33歳の12年目に自己最多の44本を放ち、不惑の40歳で迎えた19年目のシーズンにも44本で本塁打王に輝いた。通算4位の536本塁打の山本浩二(広島)は31歳になる9年目に自己最多の44本を打ち、その年から5年連続40本以上をマークした。「過去の大打者を見ると、早熟タイプと大器晩成タイプがいると思います。6年目で48本を打った掛布雅之(阪神)は31歳の年に再三ケガに見舞われ、33歳で引退した。王貞治の868本を抜くとまで期待された清原和博(西武→巨人→オリックス)は5年目に自己最多の37本を打ち、200号までは最年少記録を更新したが、最後のシーズン30発以上は30歳のシーズンで、その後は印象に残る活躍はありましたが、ケガに泣いた。 若い頃から注目され、人気チームで働くと精神的な負担も大きい。20代前半から活躍している岡本や村上は今後、いかにケガをせずに過ごせるかもポイントになるでしょう」 歴代のホームラン記録を比較していくと、改めて王貞治の凄さが実感できるだろう。22歳で初めてホームラン王に輝いてから13年連続でキングを獲得し、巨人という人気チームで9年連続日本一のV9を達成。40発以上13年、45発以上10年、50発以上3年を記録し、37歳でも50本塁打を放っている。その間、欠場もほとんどなかったのだ。はたして岡本や村上はレジェンド級の選手になれるか。
2022.02.13 16:00
NEWSポストセブン
自らプロ野球界の盛り上げ役を買って出る新庄剛志ビッグボス(日本ハムのファンフェスティバルで挨拶する様子。時事通信フォト)
「長嶋・新庄型」と「落合・イチロー型」、球界スターのマスコミ対応の違い
 監督就任から毎日のように話題を振りまいている日本ハムの新庄剛志ビッグボス。12月6日には『しゃべくり007』(日本テレビ系)、9日には『アウト×デラックス』、12日には『中居正広のプロ野球珍プレー好プレー大賞2021』(ともにフジテレビ系)とバラエティ番組にも積極的に出演して、自らプロ野球界の盛り上げ役を買って出る。プロ野球担当記者が話す。「新庄ビッグボスの発信力は、まさに今のプロ野球界に求められていたことです。就任早々、昼間のワイドショーに取り上げられ、夜の報道番組でも時間を割かれている。近年、地上波のスポーツニュースで野球を報じる時間は年々減少していましたから、プロ野球界全体にとって喜ばしい。 バラエティ番組への出演も続々と決まっていますが、最近はテレビが番組に呼びたくなるようなキャラクターを持つ野球選手が少なかった。テレビの影響力は落ちているとはいえ、バラエティに出れば野球に興味のなかった層を取り込める。今の野球界に最も必要なのは、新規のファンを獲得することですから」(以下同) プロ野球はマスコミとともに発展してきたと言っても過言ではない。親会社に読売新聞を持つ巨人は、試合結果が翌日の新聞で大きく報じられ、日本テレビ系列でナイター中継されることで、人気を拡大していった。その際、選手の振る舞いがファンを惹きつけた。「1958年に長嶋茂雄が巨人に入団し、大学野球よりもプロ野球が注目されるようになった。長嶋は秀でた成績を残すだけでなく、ファンのことを考え、マスコミにも協力的だった。翌年入団してきた王貞治も同様です。ONは球界の見本となり、率先してファンサービスをしたし、メディアへの受け答えもしっかりしていた。 ONがやるのだから、他の選手がやらないわけにはいかない。プロ野球の発展を考える上で、人気、実力とも先頭に立つ2人の振る舞いは非常に重要だったと思います。野球選手は野球を第一に考えるが、野球に取り組むだけでもダメだと背中で教えていました」 1974年に長嶋茂雄が、1980年に王貞治が引退。それでも、プロ野球人気は落ちなかった。巨人には1981年に原辰徳が入団し、世代交代が進んでも“球界の盟主”のスターはメディアに対して紳士的に振る舞った。1993年に長嶋監督がくじで引き当てた松井秀喜も、ミスター同様、模範的な対応を見せた。“天然ボケ型”と“ツッコミ型” 一方で、1980年代以降は不勉強な記者に辛辣に当たる“求道者”たちもいた。「落合博満やイチローは本来よく喋るし、的確な質問をすれば饒舌に説明してくれる。一方で、ありきたりでつまらない問いに対しては、ちゃんと突っ込む。マスコミにも仕事に対して誠実な態度を求めた。当然のことですし、それも1つの個性でした。ただ、人気を上げていかなければならないプロ野球黎明期であれば、そうはいかなかったかもしれません」 2000年代に入ると、巨人戦の視聴率が低下。毎試合放送されていた地上波のナイター中継は年間数試合しかなくなった。その代わり、BSやCSで全球団の試合が毎日見られるようになり、巨人一辺倒の時代からファンが分散したと言われている。一方で、野球人口は年々減少しており、かつて30%を超えた日本シリーズの視聴率も1ケタに落ち込むようになり、地上波のスポーツニュースが野球に割く時間も減少した。 そんな中、日本ハムの監督に新庄ビッグボスが就任。野球に興味のない人たちにも訴えるアピール力は球界にとって朗報だろう。「もちろん“求道者”タイプも必要ですが、今の球界にはファン以外をも惹きつける“長嶋タイプ”が求められていた。いわば、“全方位型”であり、“ピエロ型”とも言えるかもしれません。1990年代の長嶋監督はまさにそんな感じでした。オフに、ゴールデン帯の2時間特番で『長嶋茂雄超偉人伝説』が放送され、『息子の一茂を後楽園球場に忘れてきた』などの天然エピソードばかり紹介されて20%近い視聴率を取ったこともあった。 新庄ビッグボスも、自分をネタにされることを嫌がらないタイプです。ボケとツッコミで言えば、長嶋・新庄は記者にボケを提供する。もちろんある程度は狙いもあるのでしょうが、それを見せない“天然ボケ型”。落合・イチローは記者に指摘を入れる“ツッコミ型”。そう分けられるかもしれません」 今オフの新庄ビッグボスは積極的にメディアに出ていくが、数年後には自分に代わるスターの出現を望んでいるだろう。「ビッグボスは選手に『そうですね』という受け答えを禁止するなど、野球だけでなく話し方の指導までしている。こんな監督は今までいなかった。野球人気を上げるためには、プレーはもちろん、言葉の力も大事になってくる。ビッグボスの元で、球界を代表する“全国区のスター”が誕生する可能性は十分あると思いますし、ビッグボスはその育成を使命と感じているでしょう」 まずは自身のパーソナリティで興味を惹きつけ、野球を好きになってもらう。バラエティ番組での新庄ビッグボスの言動も楽しみだ。
2021.12.05 16:00
NEWSポストセブン
広岡達朗氏との確執について語った江夏豊氏
江夏豊、伝説のホームラン秘話「いまだに王さんに打たれたシーンが浮かぶ」
 昭和の大投手・江夏豊は、今でも昭和46(1971)年に王貞治から打たれた逆転ホームランが忘れられないという。あれから半世紀。「宿命のライバル対決」を、江夏本人が振り返った。【前後編の前編】 * * *ラジオをぶっ潰した 常に熱気を感じていたよ。真剣勝負を戦う男のね。 昭和42(1967)年に入団して18年間現役生活を続けたけど、時代時代にいろんな好打者がたくさんいた。あらためて自分の現役生活を振り返ってみて、最高、最強の強打者って聞かれれば、やっぱり、王(貞治)さん。全盛期に勝負ができたっていうのは、ほんとにピッチャー冥利に尽きると思う。 王さんとは年齢で8つも違うんだけど、自分が王さんとライバル関係に入り込んだのは、やっぱり長嶋(茂雄)―村山(実)の対決があったから。自分もあんな対決をしたいと思わせてくれたライバルは、王さんしかいなかったね。 まだ868本の世界の王じゃなくて、「日本の王」、「巨人の王」という時代やったからね。そういうときに、村山さんから「おれのライバルは長嶋だから、豊、おまえは王だ」と言ってもらえたことも糧になった。 王さんとの初対決は三球三振だった。正直、何で打てないんだろうって思ったよ。 急遽、巨人戦で先発の村山さんがトラブルで3回から登板し、ミスターとの初打席は凡打。だけど、次の打席で打たれて、ミスターがセカンドベースに滑り込んだとき、ピッチャーのほうも見ずに知らん顔で、ユニフォームをはたいてるわけ。それをマウンド上から見て「かっこいいな、これが長嶋茂雄か」と。 そう思ったら駄目よ。そこから長嶋ファンになってしまった。ミスターと勝負して抑えても嬉しくないし、打たれても腹が立たない。これがミスターの特徴かもしれないけど、そういう方やったよ。 王さんは、目ん玉をむき出して向かってきて振っても振っても当たらない。打たれたミスターが凄いバッターで、打てなかった王さんがそうでもないってことではない。凄いバッターっていうのは、空振りの三振に打ち取ってもスイングの凄さが伝わってくる。案の定、王さんには次の試合で打たれた。 昭和40年代のはじめのころの野球ファンの気質も、今とはまったく違う。昔の長嶋ファンは、極端な話、巨人が負けたって長嶋さえ打てばいいんだから。おれの人生は長嶋茂雄なんだっていうファンの方がたくさんいたわけ。 それくらい、寝食を忘れるくらい熱中してくれていた。今、そんなことを言うファンの人っていないでしょ。 そこに加えて、巨人―阪神戦は熱狂させるに申し分のない大注目のカードだった。今から420年前、関ケ原の戦いで徳川家康の東軍と石田三成の西軍との合戦から東西のライバル意識が始まったんじゃないかなと思う。かつては巨人ファン、または阪神ファンが応援してるチームが負けると、ラジオをぶっ潰したり、お膳をひっくり返すとかしていた。娯楽が少ない時代だったから、そこまで心血注いで熱中できたんだよね。流し打ちは一度もない 入団した年は巨人がV3に向けて爆進中で、ONが全盛期に差し掛かっている時期。巨人には、王貞治よりも長嶋茂雄の存在が大きかった。ものが違うミスターがいたからこそ、王さんも「日本の王」から「世界の王」へと羽ばたくことができたと思う。だからこそ、オレは立ち向かってライバル意識を持った。 ライバルって言うと、相手チームのイメージがあるけれど、おれにとってブチ(田淵幸一)もライバル。どっちがミスタータイガースの勲章をもらうのかという部分があって、おれが投げる、あいつが打つ。いい仕事をしたほうは必ず翌日の新聞一面に掲載される。おれが投げているとき、ブチも必死になっとった。チーム内で切磋琢磨するライバルだよね。 自分がライバルでもあり、目標に定めていた人は村山さん。この人がいなかったら、おれはもっと違った野球人生を送っていた。今あるのは、あの人のおかげだから。阪神に入ったころ、村山さんの一挙一動を、グラウンドだけでなく私生活も注視していた。キャンプだとほぼ四六時中一緒にいるので村山さんがどういうふうに過ごすのか、どんな食べ方をするのか、と追いかけていたのを覚えてる。それぐらい目標やった。 とてつもなく大きく、強く、眩しいもの。それが、ライバルなんだ。簡単に倒せるようなライバルじゃつまらんもんね。例えば、一試合で王さんと対戦して、3つ、4つ、三振を取った。一時の勝負で倒すことはできても、大事なところでガーンといかれる。 いまだにおれは寝るときに王さんから打たれたシーンが毎晩浮かんでいる。 並のバッターは、ピッチャーが投げる生きたボールをギューッと強振するバットに当ててパーンと弾く。でも王さんの場合はボールをバットに乗せていくんだ。そのときの光景はいまだに忘れられない。ボールがどんどん伸びている間、ブワーッと外野が追いかけていくわけ。その光景をおれは20回も見ているんだから。 一人のピッチャーが一人のバッターに20本ホームランを打たれるっていうのは、打つほうも打つほうだけど、打たれるほうも打たれるほうだよね。868本のうちの20本はおれが貢献しているんだから(笑)。それだけ数多く勝負させてもらった、イコール、向かっていったという証。おれは精一杯勝負したんだという自負心と共に満足感もある。 指先に乗ったときのボールは王さんも予測できないぐらいの勢いがあったから空振りに打ち取れた。ほかのバッターだと、ちょっと甘いところに入ってもヒットで済むところが、王さんはスタンドまで持っていくパーセンテージが高かった。 そして、王さんの凄さをあらためて感じさせたのは、左方向には打球が行かない。つまり狙わないんだよね。当然、王シフトを敷いて右に寄る守備位置をして三遊間はがら空き。レフト前に打とうと思えば簡単に打てたと思う。でも、それを一切しなかった。自分の調子が良くて、王さんがもうひとつタイミングが合わないときでも、ミート中心のスイングをしたことは一度もなかった。やっぱり、凄いバッターだった。 グラウンドにおいて王さんの偉大なところは、こんな8つも下の若造と勝負するときでも目をくりくり光らせて真剣になって向かってくる。本来なら“こんな若造くらい”って感じで気持ち的に余裕を持って対峙していてもおかしくないのに決してそうじゃない。来た球を必ずライトスタンドに持っていってやるという気迫をメラメラと見せてくる。 昭和43年9月17日、甲子園の奪三振記録の場面なんて、約5万人のスタンドのファン、巨人ベンチ、阪神ベンチ、みんなわかってる。”江夏は王から三振を取りにいってる”と、見え見えの三振狙いをみんなが興味を持って見守ってくれていた。 王さんにしたら、最高にプレッシャーだったと思うよ。いいバッターになればなるほど、不名誉な記録を残したくない。バットを短く持って当てに来てもいいのに、王さんは1回もしなかった。すべてフルスイング。あらためて王さんの偉大さを心に刻印され、この人と勝負ができる喜びに浸り、おれにとって最高のライバルやと実感した。 プライベートでほとんど絡んだことがないけれど、一度王さんに頼み事があって連絡したことがあった。かつて王さんが使っていた、バット職人の石井順一さん製造の圧縮バットをもらいたくて午前中に電話したら「わかった」って言ってくれて、昼過ぎにわざわざ家の前まで持ってきてくれた。本当に誠実な人だよ。(後編につづく)聞き手・構成/松永多佳倫(まつなが・たかりん)/ノンフィクションライター。1968年、岐阜県生まれ。琉球大学卒業後、出版社勤務を経て執筆活動開始。著書に『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』(KADOKAWA刊)など。※週刊ポスト2021年12月3日号
2021.11.22 07:00
週刊ポスト
「いまだにおれは寝るときに王さんから打たれたシーンが毎晩浮かんでいる」
江夏豊が明かす王貞治の逆転3ラン マウンドから見えた「王さんの涙」
 昭和の大投手であり、王貞治と「宿命のライバル対決」を繰り広げてきた江夏豊。さまざまな勝負を挑み、時に大きな一発も浴びてきた江夏が、その対決や王貞治について振り返った。【前後編の後編】 * * *王さんの涙 忘れられないホームランといえば、昭和46年9月15日、甲子園の阪神-巨人24回戦の9回逆転スリーラン。最終回、ランナー二人を塁に置いている場面で、王さんに回ってきた。このとき王さんは3打席まで3三振で、「相当、苦しんでるな」ってマウンド上で思ったくらい調子悪かった。 キャッチャーのダンプ(辻恭彦)さんがマウンドに2回か3回来て「豊、カーブを放れよ」って念を押して言うのよ。今の王さんにカーブを放れば三振を取れるとわかっていても、王さんから三振を取るときはストレートで取りたい。それがライバルに対しての敬意。カーブで殺すんじゃなしに、真っ直ぐで殺してあげたいと。 当たり自体は決して良くなく、打った瞬間ライトフライやと思った。ライトの藤井栄治さんがラッキーゾーンの金網によじ登ってグローブの何センチか上をかすめてのホームラン。おれだって現役時代、299本打たれているんだけど、その中でも忘れることのできない思い出だよね。 ダイヤモンドを回っている王さんが涙を浮かべているのが、マウンド上からわかった。後で王さんからも聞いたけど、泣いていたらしい。王さんも、あのホームランは生涯のうちに忘れることができない1本って言ってる。 反対に、王さんの調子が良くて、こっちの調子が悪いとき、いろんな手を使った。その中でも忘れられないのが、ノースリーの投球。わざとノースリーに持っていき、4球目にストライクを取って5球目が勝負。自分でそういう配球を考えた。 ノースリーに持っていったとき、王さんは「豊、調子が良くないな」って思っている。おれにとって王さんはライバルでもあり特別な人だから、普通の勝負ではダメなんだ。いくら調子が悪くても何とかして抑えるために、自分の持っている現状の力をどうやって生かすか、ほぼ毎日考えていた。必ず寝るときに、いろんなことを思い出して頭の中でシミュレーションした。昭和という時代に感謝 ライバルっていうのは理屈じゃないんだよね。人間の能力以上に何かが動く。一番難しいのは、人間が勝負する中で相性というのがある。この相性がなぜ生まれるかは、IT時代においても明確化されていない。なぜかというと、感情の問題だから。感情まで人間の数値は出てこないからね。おれはこういう勝負ができるんだ、こいつは苦手だなというものが働く要素として一番大きいのが相性なんだ。 ライバルにおいても相性が出てくる。相性は、1回2回の対決じゃ生まれない。数多く対決した中で、何かが浮かび上がってくる。それが感情であり、好き嫌いや得手不得手な部分によって左右されてくる。だから勝負ごとは難しく、また面白い。 今の球界を見ていて、かつての火花を散らすライバル関係があまり見当たらない。ライバルといえば一つは目標なんだから、目標にする人を自分の中で明確化するべき。この人は2割8分しか打ってないけど、なんか惹かれるものがある。自分にはない光っている部分がある。自分もああいうバッターになりたいという人を見つける。そういうのを見抜く力も技術のうちだから。 もし王さんというライバルがいなかったら寂しかっただろうね。生きていく上で、ライバルがいるかいないかは大きな違いがあると思う。 自分がここまでになれたのは、いろんな諸先輩の手助けもあったと思う。昭和という時代が作ってくれた王さんというライバルにもミスターにも感謝してるし、いい同僚にも恵まれた。いい時代だったよね。聞き手・構成/松永多佳倫(まつなが・たかりん)/ノンフィクションライター。1968年、岐阜県生まれ。琉球大学卒業後、出版社勤務を経て執筆活動開始。著書に『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』(KADOKAWA刊)など。※週刊ポスト2021年12月3日号
2021.11.22 07:00
週刊ポスト
「週刊ポスト」本日発売! 知られざる東京23区の格差ほか
「週刊ポスト」本日発売! 知られざる東京23区の格差ほか
 11月19日発売の「週刊ポスト」は、新しい時代を元気に生き抜くお金と健康のプレミアム特大号。政府の経済対策が急ピッチで進められ、企業業績はV字回復している日本だが、庶民の生活実感はまだそこまで明るくはない。成長に乗り遅れない7つの知恵を紹介するとともに、2年近いコロナ禍で懸念される「隠れがん」への警告ほか、読者の命と財産を守る企画が目白押しです。とっておき美女の袋とじグラビアも必見!今週の見どころ読みどころ◆<復刻インタビュー>ビッグボス・新庄の父が語った「交通事故8回の息子」ビッグボスこと新庄剛志・日本ハム監督の亡き父は、生前、何度も本誌インタビューに答えて、「宇宙人」と呼ばれた息子について語っていた。「マラソン大会では最初から飛ばして最後に抜かれて2位」「子供の頃に8回も交通事故に遭った」「嘘の『父危篤』で阪神退団を阻止」「日本球界復帰はいいが、巨人・阪神はダメ」など、今読んでも「さすがビッグボス」と納得のエピソードが満載。◆<巻頭特集>日本の景気は絶好調! 大波に乗る「7つの方法」2021年度上半期の上場企業利益は前期比で2倍以上に膨らんだ。株価は上昇、小売りや飲食店にも客が戻ってきた。この景気回復は本物なのか、いつまで続くのか? 専門家の見通しはもちろん、「株価」「Go Toトラベル」「ワクチンパスポート」「マイナポイント」など、7つのテーマで「恩恵を受け尽くす知恵」を紹介する。◆<瞠目リポート>東京23区には、実はこんなに「都内格差」があった話題書『東京23区×格差と階級』の著者、橋本健二・早稲田大学教授とともに、実は日本一の格差社会である東京の真の姿を明らかにする。23区内の所得格差は東京と沖縄より大きく、都心、下町、山の手で町の様子も住む人も生活もまるで違うことがマップとともに解説される。23区は10のエリアに大別され、それぞれ特徴が違う。金持ちが多い区は、予想通りのところ、予想外のところが挙がった。◆四冠・藤井聡太が負け越している「天敵」の驚くべき戦法天敵と言われた豊島政之・竜王を4連勝で破って史上最年少の四冠に輝いた藤井聡太。そんな藤井が1勝3敗と2番負け越している唯一の棋士が深浦康市・九段だ。深浦の打ち筋はとにかく積極果敢、持ち時間もほとんど使わず怒涛の攻めを展開する。事前にAIで徹底的に展開を想定し、それに従ってどんどん打つスタイルに藤井は苦戦している。渡辺明・名人との「頂上決戦」とともに、深浦戦も注目される。◆「雑巾がけ」を強いられる「元・白鵬」間垣親方の辛抱の日々大相撲・九州場所で親方デビューを果たした元・白鵬。数々の歴代最高記録を残した大横綱だが、慣例に従って場内警備という地味な担当に回された。親方衆の目は依然として厳しく、「当分は雑巾がけをしてもらう」という敵対的な声も出ている。間垣親方は協会内のイジメに耐えきれるか。◆いよいよ政権奪取に動き始めた「なにわの風雲児」吉村洋文という男総選挙で大躍進した日本維新の会。その次代のリーダーが吉村洋文・大阪府知事だ。これまで国政では「自民党の補完勢力」「野党でも与党でもない“ゆ党”」などと揶揄されてきた維新だが、勢力拡大で自信をつけたと見えて、最近の吉村氏は憲法改正などを武器に自公連立に揺さぶりをかけている。永田町では、参院選→統一地方選→次期総選挙を経て、維新が自公から政権を奪うのでは、というシナリオがまことしやかに語られ始めた。◆<インタビュー>江夏豊「今も王貞治に打たれた逆転ホームランの夢を見る」半世紀前、プロ野球には球史に残る名勝負を演じた伝説のライバル関係がいくつもあった。ことにライバル球団として人気を二分した巨人と阪神の戦いでは、宿命のライバルたちが熱い対決を繰り広げた。阪神のエース、村山実は長嶋茂雄とライバルだったし、村山の跡を継ぐエースとなる若き江夏豊は王貞治と名勝負を重ねた。その江夏が、当時の勝負の裏と王との交流を語った。◆<警告特集>「隠れがん患者」4万5000人を救え!コロナ禍の診療控え、健診控えで日本のがん患者が“急減”している。もちろん、本当に患者が減る理由はない。つまり、「見つかっていないがん患者」が増えているわけだ。その数、専門機関の推定で4万5000人。どのような人が、これからどんな検査を受ければよいのか、もしものために健康保険や医療保険で知っておくこと、やっておくこと、さらに黒沢年雄、竹原慎二が「がんにかかってわかったこと」を告白する。◆「おでん」で命を落とす恐怖&そうならないための「のどを鍛える体操」高齢者の「窒息」「誤嚥」といえば「餅」を連想する人が多いかもしれないが、実はこれからの季節、もっと危険なのが「おでん」だという。実際、おでんによる窒息事故や誤嚥性肺炎は非常に多い。なぜそうなるかのメカニズム、防ぐための調理法・食べ方、そして、専門医が考案した「のどを鍛える体操」を紹介する。◆ED治療の名医が考案した「びんびんになる3つの体操」大公開好評のED治療最前線リポートでは、薬や直接的な治療に頼らない方法を紹介する。わずかな時間で負担なくできる簡単な体操で、男性器の機能は回復させることが期待できるのだという。◆日活ロマンポルノ「思い出の女優アンケート」結果発表!カラーグラビアで日活ロマンポルノが復活する。風祭ゆき、寺島まゆみ、小川美那子による「同窓会」や、常連男優だった風間杜夫のインタビューに加え、本誌読者1300人に聞いた「思い出の女優ベスト30」を発表する。3位は「風祭ゆき」、2位は「美保純」そして第1位に輝いたのは「団地妻シリーズ」で人気を博したあの人だった――。◆<グラビア・ルポ>すごいぞ! ゲームの達人おじいちゃん、おばあちゃんテレビゲームが「eスポーツ」と呼ばれるようになり、もはや世界で老若男女がスマホやPCでゲームで楽しむ時代だ。最近では、各種の大会で活躍したり、プロとして賞金を稼ぐ高齢者が急増している。趣味として、はたまた仕事として、第二の人生をゲームに懸けるおじいちゃん、おばあちゃんの戦う日常に迫る。◆<大好評につき、おかわり特集>UFOも宇宙人も実在する!本誌11月5日号グラビアで特集した「UFOは実在する!」が、編集部もびっくりの大反響だった。今も昔も宇宙への畏怖と憧れは人を惹きつけて離さない。熱いリクエストに応えて第2弾をお送りする。今回は、オールドファンにはおなじみの「アポロ計画と宇宙人」「火星の巨大人面像」「ナスカの地上絵と宇宙人伝説」「ストーンヘンジ」「モアイ像」など、宇宙人との関わりが指摘された世界の謎に迫った。※全国の書店、コンビニで絶賛発売中!
2021.11.19 07:00
NEWSポストセブン
王貞治氏、松井秀喜氏とともに登場した長嶋茂雄氏(時事通信フォト)
長嶋茂雄氏 車椅子での聖火リレーを拒否した強い執念
 東京五輪開会式に聖火ランナーとして王貞治氏、松井秀喜氏とともに登場し、自らの歩みで聖火を繋いだ長嶋茂雄氏。その姿が国民に与えた感動は、海外メディアが「開会式で日本がもっとも涙を流した瞬間」と報じたほどだった。「何としても歩いて繋ぎたい」という思いは長嶋氏自身が強く訴えたものだったという。「世界同時生中継でミスターに異変が起きては一大事と、JOC関係者が車椅子での登場を提案したが、本人が『自分の足でその場に立たないと意味がない』と言い、車椅子の使用を拒否したそうです。2004年のアテネ五輪は監督として五輪の舞台に立つはずが、脳梗塞で倒れて指揮を執ることができなかった。再び五輪の舞台に立つことがミスターの長年の夢だった」(スポーツ紙記者) 長嶋氏には東京五輪に特別な思いがある。故・亜希子夫人との出会いは前回の東京五輪。コンパニオンをしていた亜希子夫人に長嶋氏がひと目ぼれしたことは有名だ。「東京五輪の誘致も、発端は長嶋氏と親しかった石原慎太郎氏が都知事時代に、“ミスターの気持ちに応えたい”と始めたもの。聖火ランナーにこれほどふさわしい人物はいません」(都庁職員) しかし、東京五輪の聖火ランナーは絶望的だと見られていた。「リハビリに励んでいた2018年に胆石が見つかった。治療したが原因不明の黄疸が消えず入院が長引き、それまでリハビリで鍛えた筋肉が落ちてしまった。退院後、五輪の1年延期が追い風となって再びリハビリで歩けるまでになったが、今年4月には腸閉塞で入院。 退院すると自宅地下室に歩行マシンを持ち込み、驚異的な回復力で開幕式に間に合わせたのです。ミスターは開会式のリハーサルにも参加し、何度も繰り返して予定の距離を歩いていました」(スポーツ紙デスク) ミスターが執念で繋いだ聖火に、誰もが胸を揺さぶられた。※週刊ポスト2021年8月20日号
2021.08.09 07:00
週刊ポスト
日本を代表する文化であるゲーム音楽に合わせ、206の国と地域の選手が入場。日本は過去最多となる582人の選手団のうち155人が開会式に参加した(Getty Images)
写真で振り返る東京五輪2020開会式 歓声なきパフォーマンスへの称賛も
 2021年7月23日に行われた、東京五輪2020の開会式。前日に解任された元芸人・ラーメンズの小林賢太郎氏を含め、総合演出家が4度も交代するというドタバタを象徴するオープニングセレモニーとなった。 MISIAの個性的な君が代独唱を披露し、木やりうたとダンスのパフォーマンスでは棟梁役で真矢みきが登場。俳優・森山未來は、今なお苦しめられるコロナウイルスの犠牲者へ黙祷を捧げる内容で、神秘的な演出でダンスを披露した。 日本を代表する文化であるゲーム音楽に合わせ、206の国と地域の選手が入場した。日本は過去最多となる582人の選手団のうち155人が開会式に参加した。 入場行進中は、フィールドを囲うように陣取ったパフォーマーたちがお辞儀をし、両手を広げて大選手団をお迎えし、さあこちらへと「おもてなし」のダンスで選手を誘導する。無観客の殺風景に花と彩りを与えた。 冒頭にはコロナ禍によって世界最終予選がなくなり、戦わずしてオリンピアンになる夢を絶たれた女子ボクシング選手の津端ありさを登場させた。「多様性と調和」に加え、現役の看護師である彼女を登場させることで、パンデミックの最中に五輪を開催する意味を世界に問うた。 直径4メートルの五輪のシンボルは、1964年の東京大会の際に各国の選手団が持ち寄った種から育てた木の間伐材を用いて表現した。 大会エンブレムは多様性を象徴している。さまざまな人種、性別、年代のパフォーマーがカラフルな45個のブロックを使って、ともに「東京2020」のエンブレムを作り上げた。立ち止まった世界中のアスリートが再び走り出すまでを描いた演出。赤い紐は血管や筋肉、葛藤などの心情を象徴しているという。 簡素でありながら、1824台のドローンで作り上げた五輪エンブレムから地球の形へと変化し、最新の舞台演出の技術と粋が詰まっていた。 パントマイムアーティストのが~まるちょば・HIRO-PONとGABEZによる全50競技の「動くピクトグラム」は、国内外から称賛の声が続出した。 市川海老蔵は、代表的な演目「暫」の鎌倉権五郎に扮し、世界の厄災が収まるよう祈りを込め、厄災を打ち払う「見得」を切った。 国内を約1万人が121日間かけ繋いだ聖火リレーが国立競技場に到着。聖火は松井秀喜さんが支える長嶋茂雄さんと、王貞治さんの手に渡った。太陽をモチーフとした聖火台に点火したのはテニスの大坂なおみ選手。五輪の理念である男女平等や多様性を象徴する最終ランナーとなった。 閉会式の8月8日まで、オリンピアンたちのパフォーマンスに酔いしれたい。※週刊ポスト2021年8月13日号
2021.07.28 07:00
週刊ポスト
昔の絶対的エースはすごかった(イメージ)
王貞治、荒川道場での殺気漲る練習 ブリーフ1枚で1本足打法に磨き
 昭和の時代には、今では信じられないような“熱い戦いの記録”がある。V9時代の巨人の強さはONを中心とする圧倒的な打撃力。それを支えたのが、王貞治の一本足打法を完成させたことでも知られる『荒川道場』だった。 ONの後ろを打ち、「史上最強の5番打者」と称された末次利光(当時・民夫)氏は、荒川博打撃コーチの指導の厳しさと、V9戦士の情熱は尋常ではなかったと語る。「一軍と二軍を行ったり来たりで、このままではレギュラーになれないと、1年目のシーズン終盤に荒川さんの家の近くに引っ越し志願入門した。 そりゃすごかったですよ。試合に行く前にも、試合から帰ってきた後にもやる。真冬には外で、しかも上半身裸で素振りする。霜とともに、男たちの汗が体の熱で湯気になって立ち上る光景は半端じゃなかった。大晦日、元旦も休みませんでした」 荒川道場ではバットだけでなく、真剣を振った。「部屋に短冊を吊るし、真剣を構えて振り下ろすんです。集中していればカミソリで切ったようにスパッと切れる。日本刀は『切っ先三寸』と言って、先の部分しか切れない。バットのヘッドと同じなんです。僕は2回に1回切れるかどうかでしたが、王さんは短冊を8枚ぐらい重ねても切っていた。王さんが真剣を振る時は、みんな正座して見ていました。それぐらい迫力があった」(同前) 鬼気迫る練習は、遠征先でも欠かさず行なわれたという。V9巨人のショートを守った黒江透修氏がその様子を振り返る。「遠征先の旅館で、ワンちゃん(王貞治)はブリーフ1枚になって1本足打法に磨きをかけていた。足を上げ、静止し、バットを振る。荒川さんからダメ出しをされると、ワンちゃんが自分に怒ってバットを畳の上に叩き付ける。僕は正座して見ていましたが、怖くて仕方がなかった。すごい緊張感で、殺気漲るとはまさにあのことだと思う。 しばらくするとワンちゃんが冷静さを取り戻し、荒川さんに『お願いします』と言って再びバットを振り始める。ワンちゃんがそこまでやるんだから、ボクたち雑魚もやらないわけにはいかない。雑魚というのはカネさん(金田正一)に言われた言葉ですけど(笑い)」“世界の王”がブリーフ姿だったのにも理由がある。荒川氏は2016年12月に86歳で亡くなったが、その直前、本誌のインタビューにこう答えていた。「(裸だと)筋肉の使い方がわかる。バットを振った時に余計な力が入っていると、すぐに肩や腕の筋肉に表われるからね」 そのうえで、当時の巨人軍の強さの源について、こう話していた。「V9 巨人はひとりひとりが、それぞれのポジションで『一国一城の主』ばかり。川上さん(哲治監督)は“目標はオレの弟子がみんな監督になってくれることだ”と言っていた。結果的にはほとんどの人が監督になった。川上さんのスケールはでかかった」 31歳で現役を引退し、打撃コーチ一筋で生きた荒川氏の存在なくして、川上巨人のV9 はなかっただろう。※週刊ポスト2021年6月11日号
2021.06.04 07:00
週刊ポスト
伝説のV9巨人「荒川道場」 選手が道場の近所に引っ越しも
伝説のV9巨人「荒川道場」 選手が道場の近所に引っ越しも
 セ・パ交流戦の直前というタイミングで、巨人が異例とも言えるコーチ5人の配置転換を行なった。相川亮二・一軍バッテリーコーチが三軍に回り、実松一成・二軍バッテリーコーチを一軍に昇格。加藤健・三軍バッテリーコーチが二軍担当となるなどバッテリー部門は“総入れ替え”となった。原辰徳・監督のもとでは、昨年8月にも二岡智宏・三軍総合コーチが三軍監督となり、井上真二・三軍監督がファームディレクターとなった例もある。現代野球においてコーチの役割が年々、細分化されているとはいえ、こうしたシーズン中の配置転換はかつては見られなかったことだ。 黄金期の巨人ではコーチと選手の間に強固な“師弟関係”があり、その関係性のもとで培われた力がチームを下支えした。その代表例が1965年からのV9時代の礎となった荒川博・一軍打撃コーチの「荒川道場」だった。 V9時代の巨人で、小柄ながらも闘志溢れるプレーで「豆タンク」の愛称で親しまれた黒江透修氏はこう振り返る。「僕は3年目(1966年)に遊撃手のレギュラーになれましたが、すべて荒川コーチのおかげです。前年の時点で、マスコミの前で“来年は黒江を2番に定着させる”と言ってくれた話を耳にして、その年の12月1日から荒川道場に通うようになりました。当時は(毎日オリオンズ時代から荒川氏の後輩だった)榎本喜八さんが一番弟子で、二番弟子がワンちゃん(王貞治)。オフに荒川コーチの前で練習をしていると、途中で榎本さんがやってきてバットを振るのですが、これがとてつもなく速かった。見るだけでも勉強になりました。ワンちゃんのスイングも正座しながら見ましたが、レギュラーは違うと思いましたね。 それでも1か月、荒川コーチのもとに通い詰めて、少しは成果があったと思ったところで正月になった。鹿児島の実家に帰ろうとしたら、榎本さんから“九州に帰る? レギュラーを取りたくないのか”と言われて、帰省をやめて正月も練習した。荒川さんの船に乗った以上は、最後まで乗ってやろうと必死でしたね」 当時の川上哲治・監督から指示を受けた荒川氏が、王氏と二人三脚で「一本足打法」の習得に励み、“世界の王”を育て上げたことはあまりに有名なエピソードだ。黒江氏が続ける。「荒川コーチのところに行けば、必ずうまくなるという思いがあった。榎本さんやワンちゃんが厳しい練習をするのを見て、自分はもっとやらないといけないと思いましたよ。2人の実績があるから、荒川コーチのもとで頑張ればうまくなるという確信が持てました」 V9が始まった1965年に入団し、後に“史上最高の五番打者”と呼ばれた末次利光(当時・民夫)氏は、ルーキーイヤーの終盤にわざわざ荒川氏の自宅の近所に引っ越し、荒川道場に“志願入門”した。末次氏が言う。「最初はON(王貞治、長嶋茂雄)の後ろを打ちたいなんて大それたことを考えていたわけではなく、川上さんがONの後の5番を打たせるために他球団からどんどん大物選手を補強してくるので、“まともにやっていてはレギュラーになれない”と思って、荒川さんの家の近くに住むことにしました。とにかく、なんでも吸収したいという思いでしたね。近所なので、とにかく朝に晩にとスイング指導を受けました。王さんや榎本さんというお手本がいたのも大きかった」 現在の球界を見渡しても、そこまで強固に結ばれたコーチと選手の師弟関係は見当たらない。末次氏はこう言う。「今の時代に荒川道場がないのは仕方のないことでしょう。打撃理論について、様々な情報に触れられる時代ですからね。昔と同じような厳しい指導をしたらパワハラと言われかねないし、なかなか指導が難しくなっていると思います。ただ、これだけ様々な新しい打撃理論の情報を目にする時代になっても、僕は“荒川道場を卒業できた”と思ったことは一度もありません。それくらい、荒川さんが追い求めた野球理論は奥深いものでした」
2021.06.01 07:00
NEWSポストセブン
王貞治と江夏豊の対決にどんなドラマが?(時事通信フォト)
王貞治vs江夏豊 江夏の女房役が明かす「王で新記録達成」の勘違い
 巨人対阪神の“伝統の一戦”は、球史に残るドラマをいくつも残してきた。中でもファンを熱狂させたのが王貞治と江夏豊の対決だ。当時、虎番だった元デイリースポーツ編集局長の平井隆司氏が振り返る。「長嶋茂雄と村山実のライバル関係も熾烈でしたが、王と江夏もそれに比肩するものでした。打倒・王に燃える江夏は、ローテーションに関係なく『巨人戦に先発させてほしい』と志願して、王を打ち取ったら査定アップというオプション契約まで結んでいた」 阪神で江夏とバッテリーを組んだ“ダンプ辻”こと辻恭彦氏は、全盛期の王に果敢に挑む若武者の陰の努力を間近で見た。「江夏が8歳年上の王さんをライバル視するようになったのは、村山さんに『俺のライバルは長嶋、お前は王だ』と言われたからです。江夏はああ見えて努力家で、コントロールをつけるため家や宿舎ではいつも畳に寝転がり、天井に当たらないギリギリの距離までボールを投げて指先の感覚を養っていた。彼は手が小さく指が短いので、ベンチで常にボールを握り、手のひらにボールの感覚をなじませていました」 いまも語り継がれるのは1968年9月17日、甲子園での対戦だ。この試合で江夏は、稲尾和久の持つシーズン奪三振記録を王から奪って塗り替えると公言していた。 4回、王を三振に切って取った江夏は満面の笑みでベンチに引き返した。ところが、これがタイ記録となる353個目の三振だった。江夏も辻も1個数え間違えていたのだ。 江夏はシーズン新記録となる三振を王から奪うため、続く8人の打者に「手加減」を施した。「速球を投げると三振するので、やや緩い球を真ん中低めに集めた。9番打者で相手投手の高橋一三を2ストライクまで追い込んだ時は緊張したけど、続く真ん中高めが内野ゴロになりました。よくバットに当ててくれた(苦笑)」(辻氏) 8打者三振ゼロで迎えた王の次打席、江夏はインハイの直球で空振り三振に打ち取り、見事シーズン新記録を樹立した。「新記録がかかっていることを知りながら、バットにコツンと当てる気配を微塵も見せず、フルスイングした王さんもすごかった」(同前) 王が江夏との対決で感情を露わにしたのは、1971年9月15日の対戦だ。 前年に一本足打法を作り上げた恩師の荒川博・打撃コーチが退団し、王はスランプに陥っていた。「荒川がいないと打てないのか」とマスコミに叩かれた王は、江夏から9回表に起死回生の逆転3ランを放ち、甲子園で目を潤ませた。「2ストライク後にカーブを要求したが、江夏は『変化球で三振を取っても嬉しくない』とサインに首を振って直球を投げ、一振りでラッキーゾーンに運ばれた。江夏らしい一球でした」(辻氏) 幾多の名勝負でスタンドを沸かせた2人には、ある共通点があった。「長嶋さんは『打たせてくれよ。頼むぞ』と話しながら打席に入りましたが、王さんは真剣そのものでキャッチャーが話しかけられない雰囲気があった。一方の江夏もマウンドでは誰も近づけない気迫を持つ孤高の投手でした。そんな2人の対決はまさに“食うか、食われるか”。生涯成績を見ると、江夏から最も多く本塁打を放ったのが王さんで、王さんから最も多く三振を奪ったのが江夏なんです」(同前) 侍同士の真剣勝負が、古き良き時代の大観衆を魅了した。※週刊ポスト2021年5月7・14日号
2021.05.07 07:00
週刊ポスト

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