最も大きかったのは、母親を介護できたことだ。コロナ禍のピーク時に入院してすぐに危篤。そのまま一進一退で2か月が過ぎても、見舞いすらできない。次に顔が見られるのは霊安室で冷たくなったときかもしれないという現実が、医師の言葉からはっきりうかがえたときに、「なら、最期くらいは住み慣れた自宅で」と決断したわけ。見舞い禁止のコロナ禍でなかったら、母親のシモの世話をすることなどあり得なかったと断言できる。
それともう1つの「おかげ」が、不要不急の人づきあいをしないですんだことだ。それも正々堂々と。
記者という仕事を長年していると社交的と思われ、たしかにそういう一面もあるけれど、半面、私には閉じこもり体質なところもあって、他人と会わずにすむのはたいへん結構なの。
整体師の彼女にその話をすると、「あはは、私もです!」と笑うんだわ。こういう人って結構いるんだよね。「惰性でつきあってきた親戚と無理なく疎遠になれたし、法事で声をかける範囲を狭めても咎められることはないし、気がつくと、コロナ禍を都合よく使っていたなぁ」と言う友達もいる。
使わなくなった筋肉は退化するというけれど、交際術もそう。
ツッコミどころ満載の話に「ああ、また始まった」と心の中で思っても、ニコニコ笑ってやり過ごす。聞きようによってはトラブルに発展しそうな不用意な言葉にも聞こえないふり。そうして人間関係は丸く収まっていたんだと、ギクシャクするようになって初めて気がついたんだわ。
「ソーシャルディスタンス」は、人と人の間の心の距離も広げてしまったんだと思う。多くの人が他人との距離を測れなくなって、話し下手になっている。
そういえば最近、同世代の友達から孫の話を聞くと、令和生まれの子供って、ママがマスクをつけると「どこに行くの?」と聞くんだってね。幼稚園児は腕と腕をタッチして挨拶するのが普通だし、「ママ」「パパ」の次に「ケンオン」という言葉を覚えた子もいるのだとか。
コロナ禍がもたらした変化はいつの間にか定着し、“令和の常識”になるのかしら。私たちの知らないところで、または自覚しているところで、さまざまなことが変わっている。これからもっと激しい変化があるかもね。
【プロフィール】
「オバ記者」こと野原広子/1957年、茨城県生まれ。空中ブランコ、富士登山など、体験取材を得意とする。
※女性セブン2021年12月16日号