人気球団ならではの苦労だが、亀山氏は「新庄は他球団に行ってマスコミのありがたさがわかったのでは」とも話す。
「他球団に行くと、ただプレーしているだけじゃ記事にしてもらえない。メジャーを経て日本ハムに行って、マスコミをうまく利用する付き合い方を見つけたんじゃないかと思います。そういった感性は一流ですよね」
それでもやはり、阪神時代は悩み苦しんだ。1995年に就任した藤田平監督のもとでは、練習に遅刻した新庄氏が炎天下で1時間以上も正座させられ、スポーツ紙が大見出しで報じた。亀山氏が言う。
「当時は震災後で道も混んでいた。遅れると連絡したんですが、遅刻だということで僕や新庄が正座させられた。まあ、見せしめですよね。新庄とは草むしりも一緒にやった。新監督になって扱いが180度変わり、しかも藤田監督から直接は批判されず、周りから間接的に言われる。そして、それがスポーツ紙の一面になるのが阪神です。阪神は、アクの強い選手を好まない。先輩から“阪神で臨時電車はいらん。ダイヤ通りに運行できる電車が必要なんや”とよく言われました。半分ネタだろうけど、新庄や僕はそこからはみ出る選手だったんでしょう」
(第3回につづく。第1回は【新庄剛志の麻雀 「役満しか狙わない。字牌5枚あると国士無双に走る」証言】)
※週刊ポスト2021年12月24日号