その経緯からすると、前1世紀から後7世紀に及ぶ高句麗の遺跡を「満州族の文化」と表現するのは不適切と言わねばならない。中国政府があえて「満州族」を選んだ背後に、何らかの意図があることは疑いない。とはいえ、女真の名が歴史上に現れるのは10世紀初頭だから、「女真族の文化」とするのもおかしい。この問題に関しては、韓国側の主張に理があると言わさざるをえない。
新羅系高麗人が中国王朝を開いた?
続く1月9日には、〈中国王朝「金」の始祖は新羅系高麗人〉と題する記事が同じく『朝鮮日報日本語版』で配信された。「金」とは女真族が築いた国家(1115〜1234年)のこと。最盛期には、現在の中国東北部から黄河と長江の間を流れる中国第三の大河、淮河の流域までを支配下に収めた。
上の記事では、韓国・東北アジア歴史財団のキム・インヒ委員の論文「金国の始祖・函普は新羅人」が取り上げられている。金の始祖とされる函普は朝鮮半島の出身で、その出身地については新羅、高麗、平州(現在の北朝鮮南西部)など諸説が入り乱れているが、平州を支配した勢力の推移からすれば、函普は新羅系高麗人とするのが正しい。これがキム氏の提唱する新説である。
けれども、キム氏の主張でもっとも基本となる史料は金を滅ぼしたモンゴル族の元王朝時代末期、1344年に成立した『金史』という歴史書だった。そこでは、「金之始祖諱函普,初從高麗來,年已六十餘矣」(金の始祖の函普は60余歳のとき高麗から来た)としながら、「金之先,出靺鞨氏」(金は靺鞨氏の出身である)とある。歴史上、靺鞨は満洲族(女真)と同じツングース系とされている。
つまり、キム氏は生まれ育った場所だけで論を進め、函普がツングース系でないとする根拠を何一つ挙げていない。『金史』を素直に読む限り、函普は朝鮮半島で生まれ育ったツングース系の民で、戦乱で身に危険を感じたため、同族が多く住む鴨緑江以北に逃れたとみるのが自然だろう。
ちなみに女真族は日本とも無縁ではなく、平安時代中期の1019年3月に対馬・壱岐・筑前へ襲来。一週間にわたり殺戮と略奪の限りを尽くした集団「刀伊」の正体が、まだ建国前の女真族だった。