世界中から注目される、北京五輪男子フィギュアスケートの羽生結弦(27才)。ソチ、平昌と連続して金メダルを獲得し、今大会は3連覇がかかっている。卓越した技量で世界を魅了する羽生だが、どんな経緯でスケートを始めたのか。(全5回の第1回)
《優勝をしたのなら、その次は優勝した自分を超えなきゃいけない。そんな戦いを続けることが、僕の理想です》
《まだまだ遠い話だし、出られるかどうかもわからないオリンピック。でもひたすら、すごく楽しみにしています》
自著『蒼い炎』(扶桑社)にそう綴ったのは、当時17才だった男子フィギュアスケート選手の羽生結弦(27才)だ。ご存じの通り、その2年後に初めて出場した2014年のソチ五輪では男子シングルで金メダルを獲得し、続く2018年の平昌五輪で連覇を果たす。そして、27才になった羽生は、かつての夢だった舞台に3度目の出場をする。
2月4日に開幕する北京五輪には、右足首に残る古傷の不安、アメリカ代表のネイサン・チェン選手(22才)をはじめとしたライバルの存在など試練が立ちはだかるなか、五輪3連覇を目指して「自分を超える戦い」に挑む。
宮城県仙台市に生まれた羽生は、中性的な顔立ちで、よく女の子に間違えられた。ごく一般的な家庭に生まれた羽生が仙台市内のスケートリンクを訪れたのは4才のときだった。4つ上の姉の練習につきそい、にぎやかにリンクの外を走り回っていた羽生に、「そんなに動きたいのなら、やってみる?」と姉のコーチが声をかけた。
するとスケート靴を履いた羽生はリンクへ全力疾走し、そのままリンクの中央付近まで走っていって派手に転んで頭を打ったという。コーチが慌てて駆け寄ると、無言で立ち上がり、再び元気に氷上を走り始めた。幼い羽生はアイススケートのリンクに恐怖心がなく、“初滑り”を楽しんだのだ。
本格的に練習を始めると、まだ教えられてもいない「1回転半ジャンプ」に挑戦した。羽生の最初のコーチである山田真実さんは、朝日新聞のインタビューでこう明かしている。
《着氷で転んだのですが、ちゃんと1回転半回りました。『なんだ。これは』と。教えていないから、軸はぐちゃぐちゃ。でも運動能力だけで回ってしまったんです》