かつては女性の服装は華を添えられるかどうかが基準
先日、ある仕事で旧知のファッション誌の女性編集者と久しぶりに会った。グレーのハイネットのニットにグレーのパンタロン、シルバーの大ぶりなアクセサリーを合わせていて、シックかつファッショナブルだった。後からLINEでそうメッセージを送ったら、こんな内容の返信が返ってきた。いわく、その日は他部署も合わせての会社の催しがあり、スーツ姿の男性の中で浮いてしまい反省している、とかなんとか。
「違う!」私は思わず、一人の部屋でそうつぶやいてしまった。
彼女は反省することなんかないのである。スーツ姿の男性を基準に考えることはないし(ないというより、それなりの責任ある立場の人はしてはいけないと思う)、浮いてしまうことに罪悪感を持つ必要もない。もちろん服装のTPOを知ること守ることは社会人として常識だけれど、服装で個性を出すことを否定するべきではない。
今度は彼女にそれを伝えたら、これからは自分なりのフォーマルを追求する、と返信があった。
私が若かった頃はフォーマルな席での女性はなるべくはなやかな服装をするのが良しとされた。浮かないかどうかではなく、華を添えられるかどうかが基準だった。女性は添え物扱いで、私もたいした疑問も持たずにそれに応じていた。日本のジェンダーギャップ120位に少なからず貢献してしまったと思う。
『エージェント物語』のジュリエット・ビノシュ演じるジュリエット・ビノシュの疑問と例のファッション編集者の反省と根っこは同じである。どちらも男性を基準に女性が服装を選ばなければならないから。
その場のドレスコードの範囲内なら、各自が着たいものを着るべきだ。ゆったりした着心地のタキシードでも身体を締め上げるようなドレスと竹馬のようなハイヒールでも無個性な地味な灰色のスーツでも、自分が好きなものを着る、それがスタンダードになって欲しい。
◆甘糟りり子(あまかす・りりこ)
1964年、神奈川県横浜市出身。作家。ファッションやグルメ、車等に精通し、都会の輝きや女性の生き方を描く小説やエッセイが好評。著書に『エストロゲン』(小学館)、『鎌倉だから、おいしい。』(集英社)など。最新刊『バブル、盆に返らず』(光文社)では、バブルに沸いた当時の空気感を自身の体験を元に豊富なエピソードとともに綴っている。