ANAの中国路線が始動してからわずか2年後の1989年に、天安門事件が起きる。その翌日には、日本政府が北京に滞在する日本人を救出するために救援機を出すことになり、ANAもチャーター便を手配することになった。
芝田氏は「このときの仕事が一番思い出深い」と話す。
「あの時、ANAもJALも北京に救援機を飛ばすわけです。私はその迎えに行く飛行機に羽田から乗って行きました。今までにも数々の出張を経験していましたが、これが一番、ある意味、緊張しました」
その後も、同時多発テロ、SARSの流行、リーマン・ショック、東日本大震災と、数々の困難に直面し、乗り切ってきた。
「自分たちの脚でしっかり立って、壁をひとつずつ乗り越えてきた。そういうANAのDNAっていうのは、社員一人ひとりの中に根付いていると思っています。工夫を凝らして、なんとか解決策を見いだしていくという気持ちは、脈々と受け継がれているはず」
新社長芝田氏はANAのDNAを存分に開花させることができるのか。重責を担うことになる。