例えば「安全な場所」と題された計10首の連作には、〈ていねいなくらしにすがりつくように、私は鍋に昆布を入れる〉、〈回送の電車の中でねむるときだけ行き着けるみずうみがある〉などなど、都会に住み、働くことの、孤独や疲労が滲む。
「これを書いた頃は本当に仕事が忙しくて荒んでいて、鍋に昆布をやたらと入れていましたね。そういう1個1個の小さな魔法が自分を救ってくれると、信じたかったのかもしれません」
また、〈息をする航空障害灯たちが鼻筋赤く照らすベランダ〉は「いつか忘れる」、〈もう君が来なくったってクリニカは減ってくひとりぶんの速度で〉は「街で暮らす」に分類され、〈混ぜる人見る人うまく返す人 きょうは豚玉そとは五月雨〉に始まる「これが夏だよ」のような楽しげな歌も含め、著者はいつかは忘れ、終わってしまうことばかりに、目を凝らすかのよう。夏や恋や、その一瞬だけ輝いた刹那すぎる光も然りだ。
「確かに私の場合、今この瞬間を詠むというよりは、いつかはこれも『いいことあったな』と肯定的に思い出せるんじゃないかという、過去の瞬間をより多く歌にしている感じはしますね。
私は昔から物凄く楽しかったり美しいものを見た時ほど、『ああ、これもいつか過去になるんだ』と、夏休みやお祭りの最中から思ってしまう部分があった。だからこそ今、この瞬間を楽しもうとも思うんですが、その感覚が作歌にも現われてしまうのかもしれません」
光っているモノの断片を拾って歩く
歌の作り方も結構いろいろあるのだという。
「例えば多摩川を通った時に見たキラキラ光る川面とか、あ、歌にしたいなと思うものをメモしたり、下の句だけ書いておいたものをどう定型に作り、読む人の共感や驚きをどう引き出すかとか、吟味して構成したり。つまり俳句の『ここで一句』みたいに即興で詠むのは絶対無理(笑)。そして独り善がりは避け、『あ、なんかわかる』『なんか気になる』とより多くの方に共有してもらえるよう、他者の視線を常に意識するのが、私の詠み方なんです」