手話通訳者(右)を街頭演説に帯同させる概念を定着させた枝野幸男議員
また、経済面のほかにも生きづらさを感じることもあるだろう。そうした生きづらさは、政治によって解決・緩和することが可能だ。
特に、マイノリティはあらゆる場面で困難を伴う。だから、生きづらさの障壁を取り払おうと懸命になる。マイノリティの問題は、マジョリティとは関係がないと思ってはいけない。なぜなら、たとえば明日、事故にあって後遺症が残ればマジョリティ側にいる人もマイノリティ側になる。また、年老いて身体の機能が衰えたり、事故に遭うなどして自立歩行が難しくなれば、マイノリティ側になる。
マイノリティが生きやすい社会は、マジョリティにもとっても生きやすい。そんな考え方から、マイノリティが直面する障壁を取り払おうとする政治的な動きが活発化しているのだ。
そして意外にも、かなり早い段階からマイノリティに配慮した取り組みに着手していたのが旧民主党だ。旧民主党のマイノリティに配慮した政策は、2011年3月11日に起きた東日本大震災とその後に起きた福島第一原発事故にまで遡る。
◆手話通訳者の帯同や字幕表示が当たり前に
未曾有の震災で日本全国が不安に包まれた当時、テレビにかじりついていた人は少なくない。このとき、政府の情報を伝えていたのが枝野幸男官房長官だった。
官房長官会見は祝日を除き、月曜日から金曜日まで1日に2回実施される。当時の記者会見は、官房長官だけではなく首相や各省庁の大臣すべてが口頭による答弁だった。しかし、耳が不自由な被災者もいる。枝野官房長官は聴覚障害者に情報を伝えることができないことを踏まえ、手話通訳者を立ち合わせるようにした。
これは、単に聴覚障害者への心遣いという意味だけにとどまらない。「政治は誰一人として取り残さない」というメッセージでもある。
枝野官房長官が導入した手話通訳者は、その後に永田町のスタンダードになっていく。現在では、首相会見に手話通訳者が立ち会うことは当たり前になった。
こうした理念は、枝野代表が立ち上げた立憲民主党にも受け継がれた。街頭演説では字幕を使ってメッセージを伝えることはできない。だから立憲の街頭演説では、手話通訳者が立ち会う。手話通訳者が立ち会うことで、耳が不自由な人でも街頭演説にまで足を運び、政治家の考え方を知ることができるようになった。誰でも政治に参加できる素地を整えたのだ。