田中邸前でロッキード事件で再釈放された角栄を待つ橋本龍太郎氏ら「田中軍団」(写真/共同通信社)
角栄の最後の秘書である朝賀昭氏が言う。
「選挙中にある陣営のカネがなくなり、オヤジの指示でボストンバッグに実弾を詰めて寝台列車に乗って渡しに行った。当時の寝台車は浴衣がついていて、何かあってはいけないとボストンバッグを腕に紐で括りつけて、浴衣姿で車内をウロウロしたら不審な目で見られました(笑)。ともかく、本当に楽しい“戦”だったと私は思っています」
選挙用の「実弾」も豊富だった。「田中軍団の青年将校」と称された石井一・元自治相(享年87)はこうも語っていた。
「盆暮れの手当も、福田(赳夫)が50万、三木(武夫)は30万だが、田中は100万」
党内で争う総裁選は国政選挙よりも熾烈だった。朝賀氏は、総裁選で「田中角栄の秘書」の重みを知ったと語る。
「総裁選では党員名簿を元に全国の党員を個別訪問するのが秘書の役割でした。その際、総裁選用に普段は使わない『田中角栄秘書』の名刺を持って党員を回ると、『あの田中角栄先生からですか』と恐縮されました」
ある党員は党本部から郵送された投票用紙を朝賀氏に渡し「好きな名前を書いてくれ」と言った。
「白紙の投票用紙を手渡すほど田中角栄の秘書の名刺に感激してくれました。この方法は後に福田派も真似ていましたが、最初にこのやり方をとったのは田中派。そういう選挙をわれわれは戦っていました」(朝賀氏)
前出の元田中派議員秘書は、大平正芳・福田赳夫が鎬を削った1978年の総裁選を振り返る。
「オヤジの一言で都内の個人タクシーを借り切り、田中派秘書が選挙区を隈なく回りました。あの時はオヤジの政治力の凄さを感じましたね。それを見た後藤田正晴さんが『ローラー作戦だ』と言いました。警察用語でロードローラーのようにあらゆる可能性を隈なく潰す捜査を言うそうですが、選挙戦で『ローラー作戦』という言葉が広まったのは、この時の後藤田さんの発言がきっかけでした」
(第4回につづく)
※週刊ポスト2022年7月8・15日号