と、当人は謙遜するが、〈松花江の船上ではあらゆるものが腐った。水が腐り、饅頭が腐り、人間が腐った〉という序章の書き出しなど、読むことそのものの歓びに充ちた600頁超の大作だ。
いずれ日露がぶつかれば戦場となるだろう満洲を、1899年夏、高木は船で偵察に訪れ、通訳の〈細川〉共々、燃える土の噂を王という同乗の男に聞いた。
その2年後。〈黄ロシア構想〉と称した入植と鉄道網拡大を目論む大臣らから、布教による心の版図拡大をも託された神父兼測量士の〈クラスニコフ〉は、彼ら西洋人を敵視する義和団や〈神拳会〉の拳匪に追われ、命の危険にさらされていた。神拳会は千里眼をもつ李家鎮のドン、〈李大綱〉の道場だが、彼もまた町を焼き、暴徒化する義和団に協力を拒み、幽閉されていた。
その李大綱と、李家鎮がまだ不毛の地だった時代を知るクラスニコフの因縁。訓練の末に死なない体を手にした〈孫悟空〉を名乗る男や、地図の中の〈存在しない島〉の謎に取り憑かれた男など、1つ1つは小さな野心や祈りが地図を描かせ、拳、つまり暴力や戦争をも招き寄せていく。
フィクションも一種の反戦活動
本書には1905年冬、日露戦の戦場に立つ高木の〈一種の超越〉も描かれ、戦争は本書に限らず自身の外せないテーマだという。
「要するに何がどうなると戦争になるのか、僕自身が答えを知りたいんです。戦争する意味を、僕は感じたことがないし、無論したくもない。戦争したがる国家や国民や現場の兵士も含めて、どんな心の動きから人々は戦争に向かってしまうのか、その原点を単純に知りたい。でないと、自分もいつそうなってもおかしくないと思うので。
特に僕のように親が戦争を知らない世代も多い今は、それをフィクションで体験するのも一種の反戦活動になると思う。一方で、神拳会の修行などはエンタメに徹して楽しんで書きました。ウソ理論に基づく特訓話の類は、大好物でして(笑)」