自分で泳いでいる者だけが前に進む
「この本の展開の軸は屍体を斬る稽古にあるわけですが、これも実際に、上級武士の子弟には課せられていたとされています。屍体は簡単に手に入るものではないので、何度も縫って使い回すのです。これが稽古する者にとって理不尽か、理不尽でないか……。物語は、理不尽でしかありえなかった者の、ある行動によって展開していきます」
〈世の中には、おかしいけれど、ずっとつづいてきている仕組みがごまんとある〉〈せいぜい己れらしく生き抜こうとすれば、おかしいことをおかしいと感じつづけるしかない〉とあるように、その理不尽にせめて違和感をもつこと。〈動かずともよい〉〈感じつづけていれば、それは、最後の最後になって出る〉と青山氏は書く。
「これはずっと言ってきてることですが、私は『銀色の鯵』が描きたいんですね。鯵は大衆魚で、我々のこと。銀色は、青魚とされる鯵の生きているときの色です。つまり、生きてる我々が理不尽を含めた周りの変化にもがく姿を書きたい。さもないと、時代小説は単なる昔話になってしまいます。
歴史上の大人物、大事件を書かないのも同じ理由です。大人物、大事件を謳い上げることは、大人物、大事件ではない存在には意味がないというメッセージになりかねない。私は名もなき個人が家族や友人のために決断したことの重さは、大人物のそれとなんら変わらないと思っています」
だとすればなぜ現代ではなく、時代小説なのか。
「時代が遠いほうが読者の鎧が薄くなるのでは。現代の話だとここが違う、あれも違うと、違いばかり気になるけれど、昔の話だと自分と遠い分、近さの方が浮き彫りになる。とりわけ僕が舞台にしている江戸中後期は近いです。つまり、キーワードや叩き台がないという意味で。
キーワードのある時代というのは、言ってみれば流れるプールです。時代が動いているから、自分は泳いでいないのに、泳いだ気になれる。でも、今のように流れが止まっていると、自分が泳がなければ沈むだけです。江戸中後期も同じで、自分で泳いでいる者だけが前へ進む。身につまされるほど近いです」
むろん本書は重政殺しや第2の殺人を追う事件簿であり、そのまさかの真相には誰もが仰天すること必至。実は青山氏自身、真犯人を「書くまで知らなかった」と言い、そのあまりに哀しすぎる動機も、人や社会のリアルなあり様を見つめる中で生まれたものだという。
【プロフィール】
青山文平(あおやま・ぶんぺい)/1948年神奈川県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。42歳で出版社勤務をやめフリーとなり、2011年『白樫の樹の下で』で第18回松本清張賞を受賞しデビュー。2015年『鬼はもとより』で第17回大藪春彦賞、2016年『つまをめとらば』で第154回直木賞。その他「このミステリーがすごい! 2017年版」第4位に選ばれた『半席』やその続編『泳ぐ者』、『遠縁の女』『跳ぶ男』『底惚れ』等、読んでオイシイ、飯テロ時代小説の名手でもある。170cm、66kg、B型。趣味は自転車。
構成/橋本紀子 撮影/朝岡吾郎
※週刊ポスト2022年8月19・26日号