木下選手は指導者への道を歩もうとしている
報われたと思う
8月1日に発売された拙著『甲子園と令和の怪物』では、あの夏を振り返った國保の独占告白を収録している。佐々木の起用に関して、國保はナインに詳しい説明をしなかった。それは、一言でも相談したら、きっと登板を訴える佐々木や他のナインの願いを退けることが難しくなる──そういう判断だった。
佐々木の登板回避を巡って学校には苦情の電話が殺到し、國保の自宅を突然、訪れる人間が現れるなど、喧騒はしばらく続いた。そして、昨年夏、國保は監督を退任し、現在は部長という立場で選手を支えている。
「監督の退任と朗希の騒動は関係ありません。高校野球が週に一度しか試合がないのであれば、エース一人で勝利を目指してもいいのかもしれません。でも、短期間のトーナメントである以上、一人の投手で勝ち上がることは不可能。『1』を背負った投手しか起用しないとなると、他の投手のモチベーションも上がりません。そうしたことも含めて、決勝では朗希を登板させませんでした」
とはいえ、ナインでさえ困惑するような選手起用が、勝利への近道だったのだろうか。ただ、國保にとっては9人のレギュラーだけでなく、文字通りの総力戦で勝利を目指すことが理想の高校野球の姿なのだろう。
選手たちはあの日の采配に疑問を抱き、不満を口にする者もいまだにいる。だが、不思議と國保に対する恨み節は聞かれなかった。柴田は言った。
「もう少し早く登板の可能性を告げてくれていたら心と体の準備ができたのにと思っていましたが、時が経つにつれ、僕が気負わないようにむしろ気を遣ってくれたんだと思うようになりました」
160キロ超の佐々木のボールを受けていた及川は、現在、東北学院大学の野球部に所属する。
「ちょっとでも朗希が投げすぎると『酷使だ』と言われ、國保先生も朗希も、大変だなと思っていました。朗希が完全試合を達成したことで、辛い判断を強いられた國保先生や朗希、すべての部員が報われたと思う」
関西の名門・同志社大に進学した木下は、この春から学生コーチに就任。将来は指導者を目指したいというが、決断には國保の影響もあるだろう。
「朗希の身体も大事だけど、僕らの夢も大事だろうとは、夏の大会が終わってしばらくは思っていました。でもプロで完全試合を達成した姿を見ると、あれで正解だったと思いますよね(笑)」
2019年夏の岩手大会決勝以降、高校野球は様変わりした。指揮官が「エースと心中」する学校は消え、複数投手の継投でなければ勝ち上がれない時代に突入した。2021年春の選抜から「1週間に500球以内」という球数制限も導入されたが、投手を酷使する監督に厳しい目が向けられる契機となったのが國保の決断だったことは疑いようもない。
今夏の甲子園も8月6日に開幕する。名門校の戦いに、名将の采配に、登板回避の余波を感じずにはいられないはずだ。
(了。前編から読む)
【プロフィール】
柳川悠二(ノンフィクションライター)/1976年、宮崎県生まれ。2016年に『永遠のPL学園』で第23回小学館ノンフィクション大賞を受賞。新著『甲子園と令和の怪物』で、“佐々木朗希以降”の高校球界の新潮流を活写した。
※週刊ポスト2022年8月19・26日号