掛布雅之氏が阪神の監督として縦縞に袖を通すことはないのか(2017年。時事通信フォト)
一時、阪神が掛布監督誕生に向かって動いていた時期もあったという。
「中村GMは段階を踏んで、掛布さんを監督にしようと考えていたと聞いています。当時の和田豊監督の次は掛布監督になるという話もあった。しかし、2015年の9月に中村GMが脳出血で急死。これで流れが変わり、そのオフに金本知憲監督が誕生した。もし中村GMが存命だったら、掛布監督が誕生していたと思いますよ」
掛布氏は金本氏の要請もあり、二軍監督として27年ぶりに阪神のユニフォームに袖を通した。背番号31をつけたミスター・タイガースの人気は現役時代と変わらず、二軍の試合では異例の満員札止めになったり、平日の昼間にもかかわらず甲子園に1万人を超える観客が集まったりした。
「育成手腕については賛否ありましたが、大山悠輔や原口文仁などは掛布二軍監督の元で揉まれ、一軍に定着した。しかし、ファンに惜しまれながらも2017年限りで退団。もしあと1年続けられていれば、金本監督の電撃的な辞任の後に一軍監督に昇格したかもしれません。
二軍監督退任後、さまざまな肩書きで球団のポストを与えられていますが、今年のキャンプ前日に矢野監督が今季限りでの退任を表明しても、掛布さんの名前はほとんど上がってこなかった。いまだに人気は絶大ですし、一度でいいから掛布さんの一軍監督を見てみたいファンは今もたくさんいる。ただ、もう67歳になってしまい、仮に岡田監督が3年務めたら、掛布さんは70歳です。現実的には、可能性が限りなく低くなってしまった」
掛布監督誕生は幻のまま終わってしまうのか──。