世界初の「社会主義政権」

 第二帝政はこうして崩壊した。フランスは第三共和政へ移行した。ブルジョアジーによる臨時政府が成立し、一時はプロイセンへの抵抗を続けた。しかしその間パリはプロイセン軍に占領され、勝ち誇ったプロイセンはビスマルクの画策により、プロイセン王ヴィルヘルム1世を(統一)ドイツ皇帝として即位させることになった。そして、なんとその戴冠式はベルリンでは無くパリのベルサイユ宮殿で行なわれた。

 私はこのことについてフランスに恥をかかせるため、あえてベルサイユ宮殿で強行したように理解していたが、もちろんそういう要素は無いとは言えないものの、根本的にはゲルマン民族が大同団結するときにリーダーを統一するという伝統に基づくものらしい。統一ドイツはドイツ民族の悲願であった。しかし、プロイセンやバイエルンなどといった細かい国に分かれている段階ではそれぞれに王様がいるわけでもあり、なかなか統一は難しい。そうした難問について、解決方法は「鉄と血」すなわち「軍備増強と戦争しかない」と主張したのが、ほかならぬビスマルクであった。だからこそ彼は「鉄血宰相」と呼ばれたのだ。

 歴史学者のなかには普仏戦争からドイツ帝国成立に至る流れについて、ビスマルクは必ずしも戦争を想定してはいなかったという説を述べる人もいるのだが、その理由は日本史の学者と同じで「史料が無い」からである。バカな話だ。口にしたら、まとまる話もまとまらなくなる。私は最初からビスマルクはそこまで考えていた、正確に言えばナポレオン3世が戦争を仕掛けてくることまでは完全に計算に入っており、その後フランスを首尾よく撃破できればその功績に基づきヴィルヘルム1世をドイツ皇帝に推戴できると考えていたのではないか、と考えている。

 ともあれ、翌一八七一年一月十八日にベルサイユ宮殿の「鏡の間」においてヴィルヘルム1世はドイツ皇帝に即位した。じつは、ドイツと同じでイタリアもこの時代にはサルデーニャ王国などの小王国に分かれ統一はされていなかったのだが、皮肉なことにフランスが普仏戦争の敗北で一流の軍事国家から転落したことによってフランスの支援を受けていた統一反対派が力を失い、その結果イタリアもドイツのように一つの国(イタリア王国)になった。一方、第三共和政の臨時政府はフランスにはもう継戦能力は無いと判断し、賠償金五十億フランの支払いとアルザス・ロレーヌ地方の一部割譲を条件に講和した。

 しかし血の気の多いフランス人、とくにパリ市民のなかにはこの屈辱には絶対に耐えられないと考えた人々がおり、当時臨時政府の代表だったルイ・アドルフ・ティエールに反旗を翻し暴動を起こした。いや、暴動というより反乱と言うべきだろう。彼らはティエールもプロイセン軍もパリから追い出し、一時的だったがパリに別の臨時政府を樹立したからだ。これを「パリ-コミューン」と呼ぶ。それはどんなものだったか?

〈パリ-コミューン
【Paris Commune】
1871年3月18日から5月28日までの72日間、普仏戦争敗北後のパリで、労働者階級を主とする民衆によって樹立された世界最初の社会主義政権。パリ各区から選出された代議員によってコミューン(自治政府)を組織したが、プロイセン軍の支援を受けた政府軍と「血の一週間」といわれる大激戦ののち崩壊。〉
(『デジタル大辞泉』小学館)

 なんと、「世界最初の社会主義政権」だったのである。帝政、ブルジョア共和政、社会主義政権とこの時代のフランスほど目まぐるしく政体が変わった国は無い。社会主義政権を「未来の政権」と考えるならば、この時期のフランスに行くことはタイムマシンで一気に未来に行くことに等しいとも言える。そしておわかりだろう、まさにこの時期に留学先のフランスに到着したのが、ほかならぬ西園寺公望なのである。彼がパリに到着したのは、この一八七一年の二月のことなのだ。

〈西園寺はパリ・コミューンに対して否定的で、フランス政府による鎮圧を「愉快」と評している。しかし西園寺は、パリ・コミューンの際、バリケードの構築を手伝うよう声をかけられると、
「ウィ、ムッシュー(はい、閣下)」
と答えた。しかし呼びかけた男が、
「ムッシューはブルジョワ語だ、シトワイヤン(市民)と呼んでくれ」
と返すと、西園寺は、
「ウィ、シトワイヤン」
と返答する如才なさを見せている。〉
(『陸軍の横暴と闘った 西園寺公望の失意』鈴木荘一著 勉誠出版刊)

 本編の「主役」は、西園寺公望だったことを思い出していただけただろうか(笑)。のちに日本の元老となって大正から昭和にかけての政治に深くかかわっていく西園寺が、このときどれくらい混乱したかもわかっていただけると思う。軍人志望の彼にとってナポレオン1世は英雄で、その甥であるナポレオン3世も名君と手本にすべき人物であった。そこでフランスで軍事を学ぼうとやってきたら、おそらくそれまでにはまったく彼の視野に無かったプロイセンという国が完全にフランスを撃破していて、しかもフランスは社会主義政権になっていたのである。
(第1360号へ続く)

※週刊ポスト2022年11月11日号

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