新刊で放哉の句を味わい尽くした又吉氏(撮影/国府田利光)
苦しさを突き抜けていく感覚
同じように、微笑ましさと淋しさが表裏一体となっている情景が浮かぶ句も多い。それはまさしく放哉の日常を切り取ったものだったろう。
「窓あけた笑ひ顔だ」 放哉
終(つい)の住処・南郷庵で、放哉の体は徐々に病魔に蝕(むしば)まれていく。最期は、床に臥したままという日々が続いた。
独り暮らしの庵にあって、「窓」は外の世界と自分をつなぐ役割をもつ。その窓を開けたら、誰かの笑顔が見えた──近所の子供が遊びに来たのかもしれないし、自分の世話をしてくれていた人が笑顔を覗かせてくれたのかもしれない。嬉しさの中に、淋しさが滲む。
「海が少し見える小さい窓一つもつ」放哉。現在の南郷庵の建物にも、放哉が住んでいた頃とほぼ同じ位置につくられた窓がある。当時、放哉はこの窓から大好きな海を見ていたという
又吉氏は、放哉の自由律俳句は社会を超越した視座と人間臭さが共存しているという。
「自分が置かれている状況があまり良くないときというのは、一番わかりやすく言うと、怒ったり、泣いたりするのが自然なんですけど、それを突き抜けて笑ってしまう感覚と言うか……。放哉が置かれていた状況を想像しながら俳句に触れると、なんか悲しいなあとか苦しいなあっていう感覚もありながら、同時にその言葉があまりにも強くて、僕らが日常の延長でいきなり読むと、異質な言葉やから笑える、みたいな感覚があるんです。
太宰(治)も、どこかで『絶望の果ての大笑い』というふうなことを書いていたんですけど……それに近いものを、強く放哉から感じますね」
人生の晩年に「孤独」を磨き続けた放哉──。その俳句が生む「絶望の果ての笑い」は、「孤独」「孤立」の時代を生きる我々にも通じるものがあるのではないか。
※参考文献/村上護編『尾崎放哉全句集』(ちくま文庫)