三冠王・村上のフォームは門田さんの評する通り「二等辺三角形」だ(撮影・藤岡雅樹/JMPA)
「狸や鹿、猪が玄関先に座っているようなところ」での療養生活
23年の現役生活で3度の本塁打王に輝いた門田さんならではの「ホームランを打ち続けるために必要なこと」の解説だった。門田さん自身は1988年に惜しくも三冠王に届かず二冠だったが、村上については、「打率はまだ上がる。打率が上がるということは、これからも三冠王のチャンスは何回もあると思いますね」と嬉しそうに話していた。
衰えぬ観察眼を披露していた門田さんだが、1992年の引退後はプロ野球の監督としてユニフォームに袖を通すことはなかった。引退後は糖尿病を患い、脳血栓で倒れた。その後は腎不全で週3回、1日4時間の透析を受けるなど、病魔との戦いが長く続いた。
58歳の時、兵庫県内の山間部の一軒家でひとり暮らしを始めた。誰も知らない静かなところで療養する目的だった。「朝起きると野生の狸や鹿、猪などが玄関前に座っているようなところ」と説明していた。ただ、そうしたなかで門田さんは“野球指導”にあたったことがあるとも明かしていた。
「このあたりは阪神ファンばかりで、パ・リーグのボクのことは誰も知らなかった。数年すると徐々に知られるようになり、子供たちに野球を教えたこともあります。でも、早く上手くさせてやろうと、どんどん教えてしまう。子供たちはすぐに消化不良ですわ。子供相手では成果が見えてこないから難しいですね。それですぐに諦めました(苦笑)」
昨年の夏過ぎのこと、門田さんに連絡を取ろうとしたが1か月近くつながらないことがあった。自宅の電話に留守電を残しておいたところ、「家の前で転んで両足を骨折して入院してたんや」と笑いながら連絡をしてきてくれた。年末も門田氏の元気な声を聞いたところだった。あまりに急な訃報に信じられない思いである。
■取材・文/鵜飼克郎(ジャーナリスト)