【3】信長の妹・お市との「縁談」の真相とは?
第4回放送では、永禄5年(1562年)、清洲城を訪れた家康の前に信長の妹、16歳のお市(北川景子)が現われる。信長は織田と松平の同盟を強化するため、家康に「市を娶れ」と求める場面が描かれた。
実は安部氏はいち早く「ふたりは男女の関係にあった」と主張し、長編小説『家康』でもその関係を描いている。
「家康の重臣が残した日記の記述から、ふたりは婚約し、床入りまで済ませていたと確信しました。ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが、書簡で家康を『信長の義弟である三河の国王』と表現していることも、お市との婚約を裏付けていると考えます」
お市は浅井長政と結婚し、茶々(後の豊臣秀吉側室)、江(後の2代将軍・徳川秀忠継室)ら3人の娘を産んだ。姉川の戦いで長政が信長に敗れた後、信長配下の柴田勝家と再婚している。
「幼い頃からふたりは相思相愛で、お市は浅井長政、柴田勝家に嫁いだ後も、家康に好意を抱いていた。そう考えると戦国最大の恋愛であり、悲恋ではないでしょうか」
【4】側室・お万に求めた「母性と安らぎ」
家康は生涯20人ほどの側室を持った。そのなかで安部氏が「母性を求めた相手」と想像するのが、お万(松井玲奈)だ。於大の方の姪=源応院の孫とされる。
「於大の方の妹の子供なので、家康にとって母や祖母とまっすぐ繋がる存在で、安らぎを求めた相手だったと思います。
しかし家康との間に、当時は不吉とされた双子を産み、ひとりは産まれてすぐお万の実家に返した。こうして家康とお万の関係は悪くなっていったようです」
ちなみに、お万は正室・瀬名の侍女だったともされる。瀬名と家康を含めた“三角関係“にも注目したい。
【5】2代将軍・秀忠を産んだ於愛の方への「信頼」
家康には男子の実子が11人いたが、2代将軍・秀忠を産んだのは側室・於愛の方(広瀬アリス)だ。
三河の弱小武将の家に生まれ、2度の結婚で2回とも夫と死別。寡婦となって三河に戻っていた。
「於愛の方は、三河の家康の重臣・酒井忠次(大森南朋)の関係者(妹婿の養女)でした。忠次との関わりのなかで彼女を知り、その儚げな美しさと悲運な境遇に惹かれ、自分が何とかしてあげたいと思ったのではないでしょうか。
家康が多くの男子のなかから秀忠を後継に選んだ理由のひとつには、於愛の方の人柄への信頼があったと思います」
【6】「サル」秀吉の妹継室・朝日姫の配役は?
まだ大河の登場人物リストに挙がっていないが、後半では瀬名亡き後の継室・朝日姫も描かれるだろう。秀吉の異父妹とされる。
天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いの後、家康を臣従させたい秀吉が朝日姫との婚姻を家康に求め、将来のために得策と判断した家康が受け入れた。家康45歳、朝日姫44歳。
「完全なる政略結婚です。しかも、朝日姫は家康との婚姻のため、強制的に夫と離縁させられている。家康はそのことに同情し、朝日姫をとても大事にしました。朝日姫の母・大政所の見舞いのために一緒に駿府から上洛もしたし、本人が病気になって聚楽第で療養したいと希望すれば許しもしました。サルそっくりと言われた秀吉の妹ですから、どういう女優さんが演じるのか楽しみです」