高校生時代。きょうだいのなかでも特に熱心な信者だったという
父親からのメール
昨年の安倍元首相銃撃事件後、私に届いた父からのメールには、私が引きこもりがちになっていた時期のことについてこう書かれていました。
「あの頃、お父さんはさゆりなら信仰的に乗り越えてくれるはずとただ信じてたんだよ。教会で頑張ってた頃の、お父さんの誰よりも何よりも自慢の娘、それはお父さんの頭からは一生消せないんだ」
メールは、試練は一時的なもので、必ず信仰的に乗り越えられるはずと思った、押しつけた言葉が親子の断絶を生んでしまうことに気がつかなかった、と続きました。
そして、昨年10月の外国特派員協会での会見後に届いた手紙にも、こう書かれていました。
「いつか、わかりあえる日が来ると信じている」
父や母は私に対して悪意が全くありません。娘の幸せを一番に願い、その行動の結果がそうなってしまうのです。このメールや手紙もすべて本心で、私の本当の幸せが教会への信仰であると信じて疑いません。
「そういう教え、考え方があってもいい」と私が思うことができればいいですが、もうそんな気持ちにはなれない。昔のように、心の底から両親と仲良く笑い合うことは、できないと思っています。
それでも、私が脱会を悩んでいた時期に両親への思いを書いた手紙は、いまも手元にあります。
どうしても捨てることはできないのは、やはりいつか両親に自分の思いが届く日がくると、信じているのかもしれません。
(第1回から読む)
※週刊ポスト2023年3月3日号