本書では海獣に限らない生命システム全般への愛が横溢し、自身が専門とする海棲哺乳類から陸の動物達まで、そのいじましくすらある戦略が紹介されていく。近年、牛や鹿などの偶蹄目とクジラ類は祖先が同じことが判明し、約5千万年前、陸を捨てたクジラ類の〈生殖器と骨盤骨〉の肉眼解剖学的研究が、著者の博士論文のテーマだった。
「水中で脚を退化させ、尾ビレに推進力を託した彼らにまだ骨盤があって、精巣や子宮との関係も維持されている。しかも改めてペニスを見ると、ヤギとか偶蹄目と同じ形なんですよ。
そうか、祖先が共通だと陸と海でも同じ形質を持ち、ペニスにも系統が反映されるなんて凄いと私は素直に感激したし、皆さんにもぜひ知ってほしいなあと思って。それこそオスのクジラが求愛ソングを歌ったり、メスの動物が大抵上から目線なのも、それぞれ切実な理由があるから。単に子孫を残したいがためだけにここまで戦略を練り、進化を遂げるシンプルさが、特に悲しい事件や命を軽んじた事件も多い今、もっと見直されるといいのになという気持ちもありました」
専門家は警鐘を鳴らすのも責務
生殖に関する場面では〈メスによる選り好み〉が主導権を握り、自然淘汰ならぬ〈性淘汰〉なる概念がダーウィンの時代から議論されるなど、なるほど性は侮れない。中でも興味深いのがイギリスの生物学者、ロナルド・フィッシャーによる〈ランナウェイ説〉だ。
曰く、ある形質に関する異性の好みが一定数広まると、その形質を持つ者しか交配相手に選ばれなくなり、生存競争上、有用でもない特徴を〈どこまでも、どこまでも〉求めた例が〈オスクジャクの飾り羽〉だとか。しかも飾り羽はもう古いと、今度は〈鳴き声〉に流行が移った例も報告され、何とも身につまされる話である。
「そんな時、彼らは俺には関係ないとか御託を言わず、ちゃんと乗っかるんですよ。やった、これで俺達もモテモテになれるぜって(笑)。そこが潔いと私は思うし、必死になるのはみっともないことなんかじゃ全然ない。それが生きるってことだし、人間こそ一度立ち止まった方がいいんじゃないかと。
リア充とか承認欲求とか、頭で考え過ぎるのは人間の賢さでもあるんだろうけど、今、生を享けているだけで生きる理由になる、それを全うするだけで大変なことだし、十分満足だと思おうよと、私は動物達に教えられている気がするんです」
それでなくとも海洋プラスチックや温暖化で人間は迷惑をかけており、卵の成育温度が性差を決めるワニやウミガメの場合、オスかメスの片方しか生まれなくなる可能性もあるという。
「今後はそういう形で絶滅する種も出てくるだろうし、彼らが今一度適応力を発揮することには期待したいけれど、その原因を作った張本人である人間がただ楽観していていいのかと。各々の持ち場で警鐘を鳴らすのも、我々専門家の責務だと思うので」