罪のない市民らが拘束
難民らはなぜここに身を隠しているのか。ミインさんは暮らしていたミャンマーの地域で保健局の事務員として働いていたが、クーデターに抗議し、仕事をストライキする運動に参加したことで、逮捕状が出されたという。当局に追われる暮らしの中、知人の家などを転々しているうちに辿り着いたのが、日本が支援をしてきたレイケイコー村だった。
「襲撃されるまでは、安全に暮らせていました。ミャンマー国軍との結びつきが強いといわれてきた日本が支援している村だから、攻撃されないと思っていたのです」
ミインさんによると、クーデター発生後は国内各地で国軍による市民弾圧が続いており、レイケイコー村にも国軍兵士が出入りし、住民らの動向を監視する動きがあった。ただ、「当時は軍による暴力行為などはなかったことから、突然の襲撃は想定外で、住民らは逃げる準備もできていなかった」という。
「空爆のほか、罪のない住民がたくさん拘束され、いまも捕まったままです。住宅や施設にあったパソコンや家具など、金になりそうな物もすべて持って行かれました。売って軍事資金にするのでしょう」
人権団体の調査によると、村の一部のエリアでは国軍のヘリコプターやジェット機から爆弾が投下されたほか、空中からマシンガンによる射撃が行われ、弾丸が雨のように飛んでくる様子が確認されている。その後、ミインさんはレイケイコー村から運よく逃げることができたが、第三国への亡命手続きには膨大な時間がかかり、いつこの生活から抜け出せるのか見通しが立たないままだ。
「難民だからできる仕事も少ないし、生活もままならない。皆で食べ物やお金を助け合いながら暮らしています」と、不安な表情を見せる。
現在は、家の庭で野菜などを育て、皆で食べたり、売ったりしているが、それもわずかな量だ。難民の中には幼い子供や食べ盛りの青年もおり、常に食料は足りていない状況という。