盟友関係だった森喜朗・元首相(右)と青木幹雄・元参院議員会長(時事通信フォト)
その茂木氏と“犬猿の関係”だったのが茂木派の長老・青木氏であり、岸田首相は青木氏に取り入ることで茂木氏を牽制してきた。政治評論家の有馬晴海氏が語る。
「青木さんは派閥会長の茂木氏を嫌っていて、小渕優子氏を総理候補にしたい意向だった。茂木派内には青木氏に恩を受けた議員が多く、茂木氏がまとめているのは派の半数程度とされる。だから岸田首相は、青木さんがNOといえば茂木氏の総裁選出馬は難しくなり、自分は無投票で再選できるという読みがあったのではないか。
しかし、目の上のたんこぶだった青木氏が亡くなったことで今後は茂木氏が派内を掌握し、反岸田を鮮明にして総裁選に挑んでくるのは確実になった」
岸田首相は青木氏の死で茂木氏を封じ込める“切り札”を失い、野に放つことになった。
森元首相の影響力低下
それに連動するのが最大派閥・安倍派の岸田離れだ。青木氏の死は、盟友として長くコンビを組んできた森元首相の“失脚”につながる。2人をよく知る政治ジャーナリスト・野上忠興氏が指摘する。
「森氏が政界引退後も政治力を維持してきたのは、早大雄弁会の先輩だった青木氏との盟友関係に負うところが大きい。参院自民党では安倍派と茂木派の2派で過半数を占め、引退後も青木氏と森氏を中心に両派が結束して参院を仕切ってきたからです。
だが、青木氏が亡くなり、森氏1人ではこれまでのように参院を仕切ることはできない。しかも、安倍派の幹部たちはOBの森氏がいつまでもオーナー顔で派閥運営に口を出すことに不満が非常に強い。森氏の参院自民党への力が衰えれば、派内はたちまち森氏のいうことを聞かなくなるはずです」
安倍派の勢力は統一補選後に衆参100人に達し、岸田派(46人)の2倍以上に膨れあがっている。
岸田首相は森氏を抱き込むことで総裁選で安倍派100人の協力を得るつもりだったが、青木氏の死去による森氏の影響力低下でその戦略に大きな狂いが生じている。