安倍氏とは家族ぐるみの付き合いだった
決意した「安倍晋三からの卒業」
参院選のさなか、新たな問題が発覚する。自民党の国会議員が多数参加した会合で「同性愛は精神の障害、または依存症」と書かれた冊子が配られていたことがわかったのだ。急きょ永田町の自民党本部前で抗議集会が開かれることになり、斎木さんも選挙戦のさなかに駆け付けた。安倍氏はすでに前年、首相を退いていたが、依然として自民党内に大きな影響力を持っていた。その時、斎木さんがマイクを手にこう語った。
「私が政治を志した一つのきっかけは、安倍晋三さんの存在でした。私は安倍さんと親戚関係にあります。小さい頃から安倍さんの姿を見て、この国のために働くのが政治家なんだ。幼い頃から政治家という職業にあこがれを持つ、そのきっかけをくれたのが安倍晋三さんでした。しかし、私はゲイの当事者でした。17歳の時に初めて男性を好きになって、その時に本当にとまどいました」
斎木さんは、自分に正直に生きようとすると、安倍さんの政治と相いれなくなってしまうことに気づいていく。
「いつか安倍さんが近くにいるから、この人と一緒に政治をやるんだ、そう思っていました。けれども、その安倍晋三さんがLGBT理解促進法を一番阻んでいる。その最高権力者が安倍さんだと気づいた時に、私はもうどうしていいかわからなくなりました。だからこそ私は彼にきちっと対峙していきたいと思います。彼と闘って、彼を乗り越えていかなければいけない。もう私は安倍晋三さんからは卒業します」
安倍元首相との力強い“決別”宣言だった。ところがその4日後、安倍氏は銃撃される。一報を知った斎木さんはすぐに安倍氏の妻、昭恵さんに電話をした。昭恵さんともかねてから懇意にしていたからだ。電話に出た昭恵さんは、
「私も何が起きているのかわからないの」
と話していたという。それから数時間、安倍氏が搬送された奈良県内の病院に昭恵さんが到着してまもなく、安倍氏死亡の速報が流れた。斎木さんはすぐにLINEでお悔やみのメッセージを送った。昭恵さんから返事は来なかったが、メッセージが既読になったのを見た瞬間、斎木さんは昭恵さんの心中を思い、自分自身の中の安倍氏の存在感を思い、号泣した。